義理の母親が10年程前からうつを患っています。
義理の母はもともと明るく、元気なザ・大阪のおばちゃんでした。
6人兄弟の末っ子として育ち、自分のわがままを押し通しながら言いたいことは何でも言う人でした(今でもそうですが)。
関西人ではないわたしにとっては強烈な姑でした。家が汚れることを異常に嫌がり、外食した後は玄関で全裸になってから家の中へ入るよう強制されたりもしました。(義父や義理の妹家族の前で)
そんな義母に異常が表れたのは私が2人目の子供を妊娠していた時のことでした。
義父には独身の兄がいて、義父母の近所に住んでいました。
飲む打つ買うの三拍子が揃い、好き勝手に生きている義父の兄のことを義母は嫌いでした。
心臓の弱い義父を遊びに連れ回し体調を崩させたり、盆正月は当たり前のように義父母の家に居座り、義母を家政婦のように扱っていました。
義母は料理が苦手なのもあり、お正月くらいゆっくりしたいとの理由で、その年のお正月は和歌山の温泉宿を義父母・私達家族・義妹家族の分を予約してくれていました。
しかし、義父の兄の分が予約されていないことを知った義父が怒り狂い、義母に相当な物言いをしたそうです。そして義父が宿にキャンセルの連絡を入れ、いつものようにお正月を義父母の家で義父の兄も一緒に過ごすことになりました。
お正月は一見元気に見えたのですが、私達家族と義妹家族が帰った後うつの症状が出てきたそうです。
義母の話によると、先ず朝起きれなくなったり、起きなければいけないのに体が動かないのだそうです。
すると、義父が寝ている義母の周りを掃除機をかけたり、「洗濯するからな」「ご飯作るからな」と、いちいち(義母談)言ってきて、義母は寝ていることを責められているような気になってしぶしぶ起き上がらざるを得なかったそうです。
ご飯を食べるけれど、何を食べても砂の味しかしなかったそうで、1か月で5~6㎏痩せていました。眠れなくなり、食べれなくなり、自ら病院に行きうつの診断を受けたそうです。
うつの診断を受けてから、毎日のように「死にたいねん」と電話がかかってきました。
突き放すことも出来ず、電話にずっと付き合いました。電話のこちら側で2歳半の息子が大泣きしていても構わずにしゃべり続けていました。
この治療中も義母のわがままが出て、調子がよくなったら自分で勝手に服薬を中止したりしていました。何度言っても聞く耳を持ちませんでした。
私が2人目を出産してしばらく経った時のことです。義母の実姉の旦那さんが長年うつ病を患っていて、義母とも分かち合い励まし合っていたのですが、その旦那さんが線路に飛び込んで自殺してしまいました。
義母が「自分も」と言い出さないか気が気ではなかったのですが、その時に死んだら子供達に迷惑かけるから絶対に死んだらあかん、と思ったそうです。
それから2週間ほどして、私達家族と一緒に暮らしたいというので、産後のしんどい時期ではありましたが迎えることにしました。
私達家族と暮らし始めて、新生児と元気な長男に囲まれて過ごしたためか、日に日に元気を取り戻していきました。義父としばらく離れたのもよかったのかも知れません。
半年ほど一緒に暮らし、よく眠りよく食べられるようになったので、医師の診断のもと服薬をしばらく中止することができました。それからこの10年間は医師の判断で服薬したりしなかったりを繰り返しています。
今でもわがままは健在なのでちょっと困っている事もあります。
なにか自分の気に入らない方向に物事が進みそうになると、すぐに「また、うつになるわぁ。再発するわぁ。」と脅しをかけてきて、私達が従わざるを得ない状況を作り出します。
うつの原因ははっきりしないことが多いんじゃないかと思います。色んなことが積もり積もってどうしようもなくなって、心が寝込んでしまうのかも知れません。
本人がもちろん一番きついでしょうが、状態がひどくならないようにサポートする周りもとても大変でした。
自分の子供には甘えられへんねん、といって色々言いたい放題甘えられた私は正直しんどくて自分もどうにかなってしまいそうでした。
それでも、子供を3人抱えながら、この子たちの母親としてしっかり生きないと、と思ってなんとか耐えました。支えられるものがあると、なんとか心のバランスを崩さずに保てるのかなとも思いました。
でもそれは私の神経が図太いだけの話かも知れません。(そう義母に言われたので)
そんな減らず口を叩きますが、まだ完治していないところにうつの難しさを感じます。