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抗うつ薬の体験談【ジェイゾロフト・レメロン・ドグマチール・サインバルタ・レクサプロ・デパス・デパケン】

物心ついたときから自分の狂った精神に振りまわれる生活を送ってきました。

初めて自傷行為を行ったのは小学6年生のときでした。このときは両親に心配されたいという気持ちから、カミソリで左の手の甲を浅く血が出る程度の自傷を行いました。その後も日々溜めていたものが零れ落ちるように気持ちが爆発し、癇癪を起したり大きな声で泣いたりと自分でも戸惑いを感じ、その度になにかしらの方法で自傷しながら生きてきました。年齢を重ね中学、高校へ進学していっても変わらず「自傷行為」は「自傷癖」へと進化していきました。


高校では進学校に在学していたにもかかわらず勉強がひどく嫌いで、定期テスト前には勉強をしなければならない、でもしたくないという気持ちに揺さぶられ両親の前で大泣きしました。「どうしてこんなにどうでもいいことで感情が爆発してしまうのだろう?前から思ったいたが私の頭はおかしい。精神科を受診しよう。」ここで初めて医療機関を頼ることを決心しました。しかしいざ精神科に問い合わせてみても紹介状がないと予約は入れられないと断られてしまうのでした。

医療機関を受診しないまま心機一転県外の大学へ進学し、アルバイトをしながら一人暮らしをすることになりました。頼れる親もいない、自分で頑張らないといけないと心を持ち生活していました。1年、2年とアルバイトで叱られ陰でこっそり泣くことはあっても順調に日々を過ごしていました。

しかしそこで東日本大震災に遭うことになります。私が身を置いていた地というのは大津波被災地から20kmと離れていない場所でした。なんの罪のない人々が、家族がいる人々が、友人がいる人々が、幸せに生活していた人々が急に何万人と無差別に亡くなり行方不明になったのです。

「なぜそんな人々が死ななければならないのか?亡くなられた人にも家族がいたのに。その家族の悲しみは計り知れない。なぜ私が生きているのか?私が死ねば良かったのでは?」そう頭の中でぐるぐると思考していると明確な自殺念慮が湧いてきました。

自殺念慮はそのうち強迫観念となり、死ななくてはならないと強く思うようになりました。いつ2階の自室から飛び降りようか?いつ電車に飛び込もうか?でもこわいし親も悲しむ…またもやぐるぐると思考するようになりました。

これはまずいと思い、大学近くの精神科に受診することにしました。初めて処方されたのはジェイゾロフトでした。これで私はやっと助かるんだ、と期待し服用すると寝ても覚めても身体が重い。何もできない。しかし死への強迫観念は消えずなにもしていなくても涙が止まらない日々が続きました。何もできない自分が嫌になって左前腕をハサミで削ぐように自傷行為をするようになりました。もう何もかもだめだと覚悟したわたしは両親に助けを求め、大学を中退し実家へ帰ることとなりました。

実家に戻った私は別の精神科へ受診することになります。ジェイゾロフトではどうにも自傷行為を引き起こしてしまうようだったと主治医に話し、その後レメロン、ドグマチール、サインバルタと経て現在はレクサプロを服用しています。

レメロンは副作用の口渇がひどく不快で、ドグマチールは特に変化なく、サインバルタでは少し元気になりすぎるのかまた自傷への衝動が強く出てしまうなど微妙な変化ではありますが、その度に薬を変え自分に合ったものを探していました。

レクサプロに落ち着くまでに約5年は薬の飲み比べとなりました。精神安定にデパス、気分障害にはデパケンを服用しています。こちらは大きな処方変更もなくしばらく飲み続けています。

抗うつ薬を飲み始めてからの変化はというと、昔はピリピリしていたことがどうでもよく感じられるようになりました。元々神経質な性格が引き起こしていた不安定な部分が鈍感になったというイメージです。

またあまり良くない変化というと発想力が一切なくなったかのように感じられます。昔は絵をかくのが好きで、好きな音楽バンドの曲を聴きながら自分が感じたまま好きなように絵を描いていましたが今はできなくなりました。

主治医は「変なこと(自傷、自殺未遂)をするくらいなら薬で抑えつけてしまった方がいい。」そのようなことを言っていたことが強く印象に残っています。捉え方によっては批判的な意見が出てきそうですが、私にはそうするしかないのです。普通の人間のふりをしながら社会に溶け込むにはそれしかないのです。薬を上手に使い自分の精神をうまくコントロールしながら生きていく、それをモットーに生活しています。


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