今から思い返しても、辛く真っ暗な時期でした。大学を卒業して初めて入った会社、そのあまりのブラックぶりに、私は心と体を壊して、2年で退職。その後、1年間に渡る療養生活を送らざるを得なくなりました。
体がしんどいことも辛かったですが、心も塞ぎ込んでいるとなると、もはや救いがありませんでした。両親も、私が自殺してしまうのではないかと、家の中の刃物や紐の類を隠してくれていたようでした。
私は当時、「デパス」という抗鬱薬を処方され、服用していました。人間の体や心というのは不思議なもので、確かに薬を服用すると、その効果時間中は楽な気持ちになるものです。全く状況は変わっていないにも関わらず、根拠なく後ろ向きだった気持ちが、根拠なく落ち着いてきます。私はデパスを一種の覚醒剤のようなものだと考え、努めて冷静に、その効果と向き合おうとしていました。それには、理由がありました。
私がそういった状況に陥るちょうど3年前、まだ大学生だった頃に、私は友人を自殺で失っていたのです。彼は元々、いじめられっ子の気質で、小学校、中学、高校と、辛い日々を過ごしてきた男でした。大学に入ってからは少しは状況は改善されたものの、やはり元来のいじめられっ子の気質はそう簡単に消えるものではなく、行きすぎたからかいに苦しむ日も多かったようです。
特に、友達であると信じかけた相手から小馬鹿にされることは、彼にとって相当な痛みだったようです。彼はほどなくして精神科に通うようになり、当時の彼もまたデパスを服用していました。もしかしたら、他にも何種類かの薬を服用していたのかもしれませんが、私が知る限りでは、間違いなく服用していたのはデパスです。
薬を飲んだのか飲んでいないのか、彼の様子は顕著に現れ、周囲も段々と気を遣い始め、彼をからかうこともなくなりました。それからしばらくして、彼は見違えたかのように元気になりました。周りは心から祝福しました。抗鬱薬の力はすごい、と誰もが思ったに違いありません。彼もまた、これでもう薬を飲まなくて良い、と安堵した様子でした。彼の自殺は、それからほんの数日後の出来事でした。
私は後になってから、抗鬱薬はやめた直後がいちばん危ない、今まで薬に頼っていたものがなくなった時、その落差で人は何をしでかすかわからない、ということを知りました。知った時には、もうあまりにも手遅れでした。この経験があったために、私は自分がデパスに頼る羽目になった時も、油断なく自分の心を注視することをやめませんでした。時と薬が心を癒し、もう大丈夫だろうという感覚が強くなっても、もしかしたら薬効が切れた時に暴走してしまうかもしれない、という気持ちを常に持ち続け、無理をしないよう努めました。お陰で、特に大きな問題を起こすこともなく、私は世の中に復帰することが出来ました。
今まさに抗鬱薬を服用している人達にも、是非知っておいてほしいものです。人の心は確かに薬で癒されるかもしれませんが、同時に薬で全てが解決するほど単純なものでもありません。薬の力で無理くりに弄った心は、薬の力が切れた時に、必ずあらぬ方向に一定の暴走を示します。焦る気持ちはわかりますが、その段階までをも乗り切れるまで、どうか、自分の心を自分で守ってあげてほしいと思います。