はじめに~職場のトラブル~
こんにちは。私は精神保健福祉士、社会福祉士として九州地方で大手の精神科病院で仕事の従事をしていました。
精神保健福祉士の部署がありました。この時代は、「結婚とか腰掛けで仕事をするなら今すぐ辞めなさい!」といわれる厳しい場所で働いていました。
嫉妬深く嫌味な言い方をされる方もいましたし、私がいないところで嫌味を言っていたそうです。
お気に入りのかたに私の出来ていない事を私がいないところで話されてしまい、先輩に怒られる日々でした。
でも、患者さんの思いに寄り添う仕事が精神保健福祉士だと思っています。
どんなに怒られても患者さんのため手を尽くし退院+デイケアに行けられるようにサポートが気に入らなかったのか、担当を外されました。
とてもショックを受けた事を今でも覚えています。
でも上司にあたる方が何故、私をはずすのか「意味がわからんのやけど。」と一蹴していただき、サポートははずされました。
上司は良くやったから、あの師長さんはきっと、あんたんこと好かんのやろ!とダイレクトに言われましたが、「あなたの味方は多いし、書類はちゃんとできていて私はすごいと思った。」
と言って下さり褒めてくれる方がいたからし続けることができました。
うつ病にはなりませんでした。そこで多職種連携もありつつも「若いから楽よね。」とまで言われたことに腹が立つこともありました。
ですが、私には味方がいることに安心していました。職場の同僚、病棟の看護師の方々です。
少しずつ数年かけて1年たった時に事件は起こりました。
下っ端の精神保健福祉士がわかれ分担してパンフレット作製を命じられました。
普段の仕事をしながら調べて言葉が変にならない様に、残業もでないのに話し合いながら頑張って作成しました。
時間も終電間近の後輩もいました。とてもがんばったのですが、「完成形を見せてほしい。」と突然、数日に話が来ました。率直な気持ちを話しました。
「時間は話してなかったよね。なんで今?」と仲間と愚痴りあいながら、残業時間外に4人ほど残され、ひどい罵倒をされました。
理由としては「これはどこかの病院と一緒だよ。全然オリジナリティーができていない。」と叱られ、その時に最年長の先輩が「どうしたらいいか話したい時に必ず部長はいない。話がしずらい。」と若いみんなの代弁をしてくれました。
その時の上司の顔が怒りに満ちていました。泣いている子もおり、これがパワハラだったのはこの時には気づきませんでした。
結局、最年長の精神保健福祉士の先輩は人事異動になりました。とても柔らかな話し方をされる方なのでとてもショックでした。
私も、この時は新人でしたので、異動ができず、2年後には精神科デイケアにいきたいという希望を出し意思通りに人事異動が叶いました。
ですが、この時に、「うつ病になるきっかけ」になるとは思ってもいませんでした。仲間は同年代で楽しくできていたのは事実です。
うつ病の初発
デイケアに勤務して2年たったころに、新しい新人が入ってくるとの突然の話でした。私には、仕事を頑張ってくれる後輩がきてくれたら嬉しいなと思っていました。その方は男性でした。背が高く、ちょっと天然な男の子だったので、デイケアの雰囲気が、ガラリと変わってきていました。
笑いや、モノマネをしてくれる子だったので楽しかったのですが、その子が食事に誘ってくれることがありました。その子には彼女がいたし、私から「彼女がいるのに食事は大勢の方がいいんじゃない?」と言いましたが、「職場の先輩といえば大丈夫ですよー。」と話され行くことにしました。
中身は、仕事の話をしつつも、大半は現在、付き合っている彼女さんのことでした。「中々会えないからこそだけど、束縛が激しい。毎日電話しないといけない。」などの相談を受けました。私は当時好きな人もおらず、淡々と後輩の話を聞いていました。私からのアドバイスとしては、「好かれていくことはいいことだけど、重荷になっているのであればこのままだとうまくはいかないよ。」というと言われました。
その時「〇〇さんにお話できてよかった。今度は卓飲みでもしましょう。」と何故が誘われました。その時の感情としては信頼してくれることが嬉しくもあり、大事な話をしてくれることはありがたいなと思いました。仕事はみんなで楽しくしていたある日に後輩が落ち込んでいました。
理由は「利用者から叩かれた。」とのことでした。上司に伝えるように指示した私は次の仕事場所にいくことなっていましたので、それ以上は聞きませんでした。次の日に「上司と話せました。ありがとうございました。」と話しかけくれました。また食事にいくこととなり、色々おしゃべりして楽しく過ごすことができましたが、終電もなく、仕方なく後輩の家に泊めてもらうことになりました。
職場が一緒だから大丈夫だろうという安心感もありました。彼が就職して半年ほど経ったときです。ゲームしたり、仕事の話をしたりと楽しく大笑いしていました。何のtvかは忘れてしまいましたが、女性の芸能人が出てきて、「こんなかわいい顔に生まれたかったわー。」と話すと、「比べなくてもいいと思います。〇〇さん可愛いですよ。」と言ってもらいました。
茶化されると思い込んでいたので、またまたーと手を払いのけましたが、思った以上に力が強く、ちょっと男性らしさを感じてしまいました。でも彼女がいることを知っていたので、改めてゲームをして朝方帰宅しました。そこで、ようやく気付いたのですが、私は彼が後輩から気になる人に変化していきました。
それで追い打ちをかけるかのように電話で「彼女と別れた。」と数日たって言われました。仕事があくまでも上位だったのですが、後輩から誘われれば誘われるほど九州管内を回ったり、映画を見たりして仕事の休みに合うようになりました。当時でいうと友達以上恋人未満だったと思います。
ただ、好きだとか率直な言葉などは私から怖くて言えなかったので、後輩は言ってくれるものだと思っていました。何か月をすぎても関係性は変わらぬままでした。ですが、その日は突然きます。真冬のことでした。「突然、好きなひとができた。」と言われ私は茫然としてしまいました。
その好きな人は私ではなく、学生時代から好きな女の子が彼氏と別れたことをしり、その女の子に告白したいとのものでした。私はすかさず今までの出来事など後輩に言っていきましたが、「〇〇さんは優しいから一緒にいて楽しいと思っただけのただの、お姉さんのような存在だから、恋愛対象にはならない。」と言われてしまい、その場から私はすぐに立ち去りました。
翌々日仕事だったのですが、中々寝付けずフラフラしたまま仕事に行ったことを覚えています。何回か話す機会はあったのですが、仕事をすることだけでした。恐らく、後輩も私の気持ちに気づいたに違いありません。それから、うつ症状らしきものが出現しました。体重は―5㎏まで減少し、明らかに回りにわかるような状態でした。
食事も入らず、かかりつけ医へ行き点滴を2回に1回は受けるようになりました。ですが、あまりに体がきつく今まで風邪やインフルエンザで休んだことはありましたが、休まざる負えなくなり、ネットの口コミを利用して、心療内科で、カウンセリングを受けられるところに受診しようと予約(3週間ほど待ちました。)をし、受診しました。
カウンセリングの先生は女性の方で良く話を聞いてくれて、「あなたは全くなにも悪くないんじゃない。男がちょっとダメなだけよ。」と言って下さいました。先生も「変なんのに引っかかったんやな。」と慰めてくれて、定期的に通院するようになったのが、うつ病の始まりでした。
軽度の状態であることから、ジェイゾロフト(抗うつ薬)とマイスリー(睡眠導入剤)という薬を処方してもらいましたが、その、マイスリーが私の体には合いませんでした。稀に現れるようですが「夢遊病」になってしまいました。突然、母親に夜中電話をして意味不明の言葉を口走ったり、いつの間にか部屋がきれいに片づけられたり、ご飯を食べた形跡があったりと記憶がなくなるほどの異常を私は体験しました。
すぐに、薬剤師に問い合わせ、上記の内容を話ました。先生と連絡を取って下さり、「健忘」いわゆる記憶障害になっているため、ただちに服用中止となり、翌日に心療内科へ行き、ブロチゾラムという睡眠導入剤に変更してもらいました。そして、話は変わりますが、職場の後輩との関係は実しやかに院内に伝わっていたようでした。
そして、いつも診察が雑な先生が現れてきてというのは語弊がありますが、私はその先生と初めてというぐらいその場で話をして下さいましたが、言葉の節々に嫌味を感じさせるものがありました。「母と一緒に暮らさないとだめじゃないかなー。」と言われて初めてその先生に「何で?」と突き返しました。
しばらく、休職をするように半ば無理やり休むことを強要されました。「一旦、院長等に話をすべきでないか?」「あまりにも理不尽過ぎる。」とお話しましたが、何故かこのような形をとらされることとなりました。両親にも相談し、「帰って地元の病院を探す方法もあるよ。」と話をしてくれました。
何故、ここまでされないといけないのか不思議でたまりませんでした。しかし、唯一の救いは同期の精神保健福祉士、仲の良い看護師さんたちが味方をしてくれて、「こんなやり方はおかしいのではないか?」と上司に訴えて下さった方もいたようです。それは、今までの信頼関係を長く保ててくださった思いやりのある方々と出会えたことでした。
離れたくない人と離れるのは非常に辛いです。ですが、決断の時が来ました。私の携帯に「お母さんが来れる時があれば一緒にきてほしい。」という内容でした。それは職場の診察が雑な先生からの伝達でした。母親は一言「わかった。」と言い、日にちを調整してくれて、わざわざ来て話し合いに参加しました。
内容は変わらず、「一緒に母親と暮らさなければ、あなた(私)は何かしでかしそう。だからそれができないのであれば、辞めるしかない。」という言葉でした。私はずっと泣き続けました。何をはなしたのか正直なところ覚えていません。
ですが、母親から「こんなことで呼び出すんですか?娘は苦しんできたこと知っているんでしょう?」と戦ってくれ、最後に「こんなところにしがみつく必要はない。地元にもたくさんあるから、そうしない。」と言われ、その言葉で退職を決意しました。その時の上司は「先生が言われることは絶対!」だったんだと思います。
「ゆっくり休んでいいからね。待っているからね。」という言葉を私は信じていました。ですが、上司はだまったままで何も言って下さらなかったです。その話を送別会で仲の良い年上の看護師さんに話をしたところ「今まで〇〇先生が出て話をしたことないよ。私だったら責任持つから、ゆっくり休ませた後、仕事を少しずつ再開してもらうけど。意味わからんね。」と話して下さいました。
私は、この方が上司だったら良かったのにとさえ思いました。休職して最後の勤務は、お世話になった病棟や作業療法士の方々、そして大好きだったデイケアの患者さんに挨拶しました。暖かく見送って下さり、病院を退職された先輩方からも当時、snsを利用していたため、暖かく優しい言葉で励まされました。
地元へ戻ることになりましたが、生まれ育った場所ではなかったですが、とても楽しく充実はしていました。後輩男性に会わなければ良かったのにと悔やんでも悔やみきれませんでしたが、私の自業自得な面もありましたので、当時は恨んでいたと思いますが、今は恨みもありません。
それに、私が辞めた後に後日、聞いた話ですが、後輩男性も後味悪かったのか職場を退職されたそうです。退職を決め、有休消化している時はなるべく、生活リズムを整えようと、仕事に行く前の時間に必ず起きて、朝ご飯を食べ、実家の草むしりやペーパードライバーだったため、父親の指導のもと、運転の練習をしていました。
時々、妹の子供とサッカーをしたり、とにかく「忙しい時間」を作ることに専念しました。しばらく体が安定した時に、妹とハローワークに行き、色々と探した結果、同じような精神科が募集していたため、そちらで再就職することができました。地元に帰っては来ましたが、今でも仲の良かった同僚とは年賀状や旅行に行く仲で、結婚式も呼ばれたりすることもありました。
新しい場所で頑張ろうと決意し、精神保健福祉士として新たな仕事を開始しました。最初の頃は自己研鑽に励むため一生懸命勉強しました。男性とのお付き合いもありましたが、仕事優先を変えずにしていたので、振られることもありましたが、特に気にはしませんでした。地元でも治療を継続していた方がいいという前医より紹介状もいただいていたので、カウンセリングはありませんでした。
女性の先生で、しっかりと話を聞いてくれていて安堵しました。お薬が前医と変わりはしませんでしたが、減薬したいという私の気持ちを汲んでいただき、少しずつ薬の量が減っていきました。それほど充実してた毎日を送っていました。ですが下記に話すことは転職した病院で起こり、うつ病の再発が起こりました。
再発が起こった事で、症状が悪化してしまい、信頼していた先生でしたが、新しく開業された女性の先生は臨床心理士によるカウンセリングもしていて、優しいという評判を受けて転医することに決めました。以前、同じ病院に務めていらっしゃったことも転医した理由でもあります。
カウンセリングでは現在の悩みや女性特有の生理前の精神不安定など、包み隠さずお話しました。カウンセリングの先生は同年代で他愛もない話もできる方で安心してカウンセリングを行うことができました。現在も通院していますが最初にカウンセリングをしたのち、今はカウンセリングが必要な状態ではなくなったため、中止しています。
恐らく、仕事が予想を上回る状態が続き、疲れも出始めて責任ある仕事を任されたこと、職場の人間関係についてなやんだことがきっかけとなりました。大手の病院ということもあり、しっかりしなきゃという思いもあったとは思いますが、後輩は若くてもベテランの人でも言葉遣いや職種マナーを身に着けていないスタッフが多数いました。
もちろん、若い後輩でも礼儀正しい方もいらっしゃいましたが、クレームのあとがたたなくなり、うつ病の再発となりました。とてもうつ症状が軽減されるか不安でたまりませんでした。
2回目のうつ病再発
現在の職場に悩んでいる方に向けてお話させていただきます。職場の事を包み隠さずにお伝えします。正直な私の考えなので目を通していただくと嬉しいです。
職場には相性が合う方、合わない方がいると思います。
私自身の体験談になりますが、転職する前は相性が合わない方がいて、更に職場の仕事量増えていきました。ちなみに、精神科の病院で勤めていて精神保健福祉士として実際に働いていました。元々、うつ病もありました。調子が悪いと何でも悪くとらえることが徐々に増え始め、うつ病悪化となりました。
・年下なのに溜口で相談される。
・変な言いがかりをしてくる。
・仕事の残業が日付をまたぐことがある。
・私語が多くて相談者に迷惑をかける。
・内科へ異動となりお見送りをすることが多くなった。
・挨拶をしても無視。
・許可を得て出した郵便物を簡易ポストから抜き取られる。(喘息で入院し、退院した時の傷病手当の書類)上司から抜き取られたことを知りとてもショックで次の日に朝一で郵便局のポストに投函。
・入院したくない患者の人権を無視した入院。
・救急搬送は必ず119番に私が通報しないといけなかった。
(これが原因で内科異動をお願いしましたが、認めてくれない。)
・女性ならではのイジメ
おおまかにまとめるとこのような感じでした。きっとこの様に、仕事をしながらも私としては不満が溜まり続けてしまい、昨年の2月に喘息発作と休養を目的に入院しました。また、結核の疑いもありましたので検査も随分と行いました。入院中インフルエンザが流行していたこともあって、家族ですら面会は出きませんでした。
寂しくもありましたが、ようやく「休める」という感覚でいました。もちろん仕事のことは気がかりでしたが、私自身心身共に休める場所がなかったと今では思います。入院中の看護師さんは、とても優しく入院していた患者さんでは若い方だったらしく、子供扱いされることもしばしばありました。
特に嫌な思いにはならず、私の病室には代わる代わる看護助手さんが来てくれて私の話し相手になってくれました。プライベートな話もたくさんしました。その中でも、とある年上の看護助手さんが「あなた見ていたら、安心するわ。話も聞き上手だし言葉が丁寧。どうしたら、そういう子が生まれるのかしらね。うちの子にも見習ってほしいわ。」と言って下さる方もいました。
22日間入院生活を送ることになったのですが、確かに退屈な時間がなかったわけではありません。ぼーっとしたり、売店で売られていたコーヒーを飲み過ぎて寝れない時もありました。退院日に
やっと両親と妹家族と会うことができ、外食しながら和気あいあいと過ごすことが出来ました。
正直、復職したい気持ちもありました。が、「行かないと、稼がないと、残してきた仕事をきちんとこなさいと」という気持ちがあり、退院してすぐに仕事に復帰しました。
入院前は色々な事があったため、退院した後はさすがにやばいと思ったのか、優しく声をかけてくれる看護師さんや多職種の方は色々と話しかけてくれましたが、同じ同僚の方は、私がいなかった分の仕事をさせられた訳ですから、不満はあり、良く話しかけてくれる方、そうでない方に分かれていました。
このことがきっかけとなり、私はある程度、落ち着いたら辞めることを考えていきました。入院してから退院までの間同僚たちはしっかりと私の仕事を引き継いでくれていましたが、時々話すたびにトゲトゲした言葉にも聞こえていました。その時ぐらいから少しずつ私の居場所はここなのかな?と思うことが増え続けました。
昨年5月内科病棟に勤務していた時に仲の良い看護助手さんが「彼氏おるの?ちょっと紹介したいんだけど。」と突然男性の紹介を受けることになりました。その男性は「優しい男性。」としか言われず会ってみることにしました。最初に会って飲んだり、出かけたりすることが増えました。
嫌ではなくむしろ楽しく過ごすことができました。ですが、私のうつ病に関して言うべきか言わないべきかを悩みました。お互い好印象ではあったので尚更でした。でも、言わないといけないと思い、ある日「心療内科に通院し服薬していること。」をお伝えしました。
すると「そーなの。別に関係ないけどね。」とあっさりした言葉が返ってきて私の方が驚きました。その後、正式にお付き合いし、半年たった頃に一緒に住むこととなりました。彼は、今でも私の心療内科へ行くときに車で送ってくれたり、サポートをしてくれて残業で忙しい時は家事を率先して行ってくれています。
介護の仕事をしているため、私の仕事事情は家族よりも理解があります。その優しさは私にとって、とても心強く感じ、彼なら何でも相談できて頼もしくサポートも声掛けを辛そうな顔をしていると、心配してくれて一緒に過ごすことが楽しく感じました。改善策をご紹介します。
改善策
私自身出来なくてもっと早くこうしていれば良かったと後悔したことや、私自身やっていたことです。
【求人案内をネットで見る】
私の場合は、CMで流れる転職サイトに登録し希望に合う所がないか探しました。毎日のように情報を流してくれるのですが、中々希望に沿った求人がなくどうしようか?と迷っていました。ですが探しているだけでは、転職はできないと考え希望があうところを探し、ピックアップしました。
体の負担がないように慎重に選び、1回目に転職したいと思ったところに電話をかけると、丁寧に応対して下さいました。それこそが現在勤めている職場になります。お給料はあまりこだわりがなかったのですが、今後の生活を考えると、まさに私にピッタリな職場です。
【自分を大切に思ってくれている身内に相談する】
私の場合でしたが、両親と当時付き合っていた彼氏に相談しましたた。精神科でも大手の病院だったので、福利厚生も良く「ここで娘は働いている。」と自慢していた両親でした。最初は「そんなことで辞めるのはもったいない。我慢したら?」と言われると思っていました。
ですが、全て打ち明けたところ「そんな所は辞めないよ。辞めることが負けることではないよ。だけど転職は慎重にしなさいよ。」と母親は言ってくれて、大泣きしたのを覚えています。また、父親は「どこでも好きな所にいきないよ。」と話しをしてくれました。両親は了解を得られましたが、次は彼氏への相談しました。
彼とは辞める2か月前から既に同棲しており、私の疲れ具合いを気にしてくれていたため、「資格があるから、大丈夫だよ。」と転職に賛成してくれました。私には、「きっと合う仕事が見つかるはずだよ」と応援してくれました。とても心が安心しました。そして、次のステップに進みました。
【かかりつけ医の先生に相談する】
私は数年前から心療内科を1ヶ月に1回通院していたので、とても信頼でき薬の調整もしっかりと診てくれていました。喘息発作で入院した後にも「今の仕事で辛いのであれば、あなたなら別の場所でしてもいいと思いますよ。すごく頑張っているのは、わかっていますから。」とおっしゃってくれたことが強い後押しになりました。
私の仕事内容を知って下さっていたため、その言葉に感動してしまい、号泣しました。そしてスッキリして気持ちを切り替えることができました。また、心療内科には同じ資格を持っているスタッフの方がいて、その方も「大変な仕事ですよね。特に病院は。だから、辞めても、すぐに見つかりますし、もし何かしたいことがあれば、そこを中心に探した方がいいと思いますよ。」と助言してくれました。
相談して良かったと思っていますし、信頼できる場所だからこそ、しっかりと未来を見据えた仕事探しができるように、万全な体制で挑むことにしました。沢山のお力添えをいただきました。一人ではない事を実感しました。
改善策の結果
求人サイトで、(私の場合はインディードでした。)以前から興味があった障害児支援ができる仕事を探し始めました。通勤にあまり時間をかけたくなかったこともあり、近隣で働ける場所でということで探しました。そして1件、放課後等デイサービスを派遣社員として記載していました。
実際に派遣を斡旋している会社の説明会と実際の派遣先に一緒に出向いてくれました。派遣先の子供たちは、元気いっぱいで話しかけてくれたり、楽しそうに過ごしており、またスタッフの方も「是非、来て下さい。」と、すぐに面談、面談の合格を得ることができました。
そして、転職することを上司に話ました。「なぜ?」と問われたため、今までの、苦しかったことを淡々と話し、こういった場所では仕事をし続けることは耐え難いこと、新たな場所はそういったドロドロしたことがなさそうときっぱり言いました。その時の上司は「気持ちはわかりました。僕も色々とさせすぎたと思っています。」と、おっしゃって下さいました。
転職が決まったことを話し退職する話でしたが、何故か上司の相談に、いつの間にかなっていました。上司も言えない悩みがあったんだなと思い、できる限りの助言をしました。実は中間であった私の退職を止めるにはどうしたら良いか、相談相手がいなくなっていまうことが上司は不安だったようです。
「話せて良かったです。」と言って下さいました。そして、病院退職しました。退職した時は、色々な現場の方から「なんで?」と聞かれました。率直に「職場が嫌になった。」とは、さすがに言えずに「元々、興味があった個性、特性がある子供の支援がしたいから。放課後等デイサービスに転職します。」とお話させてもらいました。
ところ、少数ではありましたが、「いいなー。私も実はそういう仕事がしたいのよ。」とカミングアウトされる方もいました。その言葉には、つい私も「私だけじゃないんだ。子供支援したい人もいるんだ。」と知りました。現在の職場で子供たちと作品を作ったり、公園で遊んだりと体力は使いますが、楽しいです。
変なスタッフの駆け引きもなく、あっけらかんとしていて楽しく休憩時間を過ごすこともでき、同年代ならではの悩みを相談し合ったりと充実した日常生活を過ごしています。精神的にも安定し、薬も減薬しています。症状も安定し始めました。
また、転職して3週間過ぎた頃に彼が運転していた車に私が助手席にいたのですが、突然追突され、彼はむち打ちで済みましたが、私は背中を圧迫骨折し、前歯が2本欠け、唇を切り怪我をしてしまいました。完全に相手が悪いのですが、やはり私自身の性格上「事故に合ってしまい申し訳ない。」という気持ちでいっぱいになりました。
前の職場だったら、幾ら被害者とはいえ「また迷惑かけたな。」と言われると思います。記憶が曖昧だったのですが、今の職場に事故直後電話をかけぶつけられたことを話したみたいです。そうしたら、派遣先の所長が事故現場に駆け付けてくれて、休日にも関わらず、救急病棟まで足を運んでくださいました。
その足で職場に報告してくれました。一緒に事故に合った彼も洋服などを持ってきてくれて深夜まで側にいてくれたようです。被害者とはいえ、仕事に穴をあけてしまったため、謝罪を会社用メールに送りましたが、どの方も暖かく励ましてくれて社長まで「誰も責めたりしない。みんな優しいから。」とメールを下さりました。
幸いにも命には別状なく、すぐに回復しましたが、リハビリに行かなければならず、歯の治療もしないといけないため半年間は病院通いが続きました。でも、早く治して元気になりたいと思えるのは、放課後等デイサービスのスタッフの方々や子供さん、保護者の皆様の存在があったからです。
家族や彼はもちろんですが、こんなに「誰かのために」と思えるのは、私自身の成長でもあったと思います。転職したことがいかに良かった事だったのかを実感できています。家族や彼はもちろんですが、こんなに「誰かのために」と思えるのは、私自身の成長でもあったと思います。
転職したことがいかに良かった事だったのかを実感できています。
長い内容になりましたが、簡単にまとめると、今の職場で悩む事があれば、一人で悩まずに、信頼できる人にしっかりと相談することで、色々なアドバイスをしてくれて、きっと力になってくれるし、あなた自身の心も楽になると思います。
私はその事を今回のうつ病の再発で知ることとなりました。転職したことで、心が安定し薬も減薬しながらの生活になっています。私のうつ病の体験談は苦しい日々が続きましたが、ちゃんとした幸せも今はあります。治療し続けて良かったと思えているし、しっかりと自分にあった職場に巡り合うことができました。
今のままでいいのか?を悩まずに、少しずつ前向きにとらえることができます。また、お薬に不安がある方もいると思いますが、私の心療内科のかかりつけの先生は、良く話を聞いてくれて薬の調整もしっかりと患者さんの立場になって考えて下さっています。
とても助かっています。
転医することは現在、処方してくださる先生に対して失礼ではないか?と思われる方々も多くいると思います。私も転医には悩みましたが、「カウンセリングをしてほしい」という希望も前医に伝えました。「その方があなたには合っているかもしれませんね。」というお言葉をいただきました。
先生方の繋がりがあるため、病院を変えることは特に悪い事ではないので、紹介状もすぐに準備してくれます。ですから、自分の体のためにも合わないと思った時点で相談してみてはいかがでしょうか。そして、35歳の私がうつ病であることは、病院に勤め始めて明かすことが多いです。
偏見的な場所ではないと思いますが、どうしても、すぐには言い出せませんでした。人によるとは思いますが、うつ病を打ち明けることは決していけないことではありません。では、なぜ、私は最初から言わないかと言いますと、「いつかは寛解するかもしれない、お薬(今はデジレル、クエチアピン、ベルソムラの3種類を服用)しています。
心療内科の先生曰く飲まなくてもいい時期がくると信じています。」どうしても、お薬を飲みたくなくても飲まなければいけない状況が数か月の方もいれば、数年以上飲まないといけない方々はこの世の中に沢山いらっしゃいます。私は数年お薬を服用していますが、現在、婚約しており婚約者もお薬の服用に最初は反対でした。
ですが、「いつかはお薬を飲まなくて済む。」ようになるだろうと心を広く持って私と向き合ってくれていて、頑張ってきたことが現在報われている状況にあります。また、心療内科の先生は、「いつか、結婚し赤ちゃんを授かったとしても服用できる軽い薬だからね。」と言って下さっています。
何度も申し上げて恐縮ですが、必ず信頼できるかたに相談し、一人で絶対に抱え込まないで下さい。それでもどうしても症状が改善されないなどの場合は転医してネットでの口コミサイトや実際に行かれた人の体験を聞きながらご自身にあった信頼できる先生を見つけて下さい。
ひとつだけ、これから精神科、心療内科へ行かれる方に恐縮ですが、アドバイスとしてあげるなら下記を見て下さい。理由も述べさせていただきます。これからのアドバイスは、私が経験したことをお話します。
・初診でお薬を大量に出す先生が今でもいます。初めて行って、こんなに飲まないといけないのか?と思ってしまうと思います。うつ病の薬には、効果が1週間~2週間程度と言われています。お薬が効かないからといって、オーバードーズ、つまりは、「過剰にお薬を用法・用量守らずに飲んでしまうこと」が危ぶまれます。
特に睡眠導入剤は効き目があるなしに関わらず依存傾向の方がいらっしゃったりしますので次々に飲んでしまいます。そのような事を避けるべきです。
・軽症の方にはカウンセリングができる病院やクリニックをお勧めします。理由としては、私の体験談にもカウンセリングを書いていますが、見知らぬ誰かに自分のことを話すと気分が楽になります。私がそうでした。
私は今でこそ身内と良く相談しますが、身内には言えないことなど沢山ありました。同業者だったからかも知れませんが、職場の愚痴やたわいもないことで、怒られることがまずないからです。しっかり自分の状態によって話を聞いてくれて先生への報告も速やかにやって下さります。
カウンセリングを開業されて1時間3000円~などを標榜されているところもあるかと思いますが、良い場所、良いカウンセラーもいらっしゃるとは思いますが、しっかりとした病院、クリニックで受けた方が3割負担でもありますし、保険が適応されます。安易に開業のカウンセラーに行くことについては、私はお勧めしません。
病院やクリニックで働かれているカウンセリングの先生は「臨床心理士」といった国家資格になります。大学院で専門の勉強を行い、数々の心理テストをこなす方々です。比較的、人数が少ないため、精神科、心療内科でもいらっしゃらない所もありますので、ネット検索や受診する前に電話で「カウンセリングがしたい。」ということをお話してみて下さい。
・snsやcmで睡眠改善やうつ病改善のサプリメントは安易に購入しない方がいいと思います。サプリメントは薬ではありません。症状が重くなるほど、サプリメントでの効果はないものと考えた方がいいと思います。処方された薬が安定に繋がります。できれば、サプリメントはお勧めしません。
・どうしても死にたくなる時には「一般社団法人 日本いのちの電話連盟」があります。良くあるのは繋がりにくいとのことを聞いたりします。私は実際にかけたことないのですが、インターネットの相談や、かかりくい時にはお住まいの地域とは離れてしまう可能性があるかと思いますが、ナビダイヤル受付センターが「午前10時~午後10時まで」受付けをしています。
IP電話では、かからないみたいなので、携帯電話でお話されるといいと思います。命の電話で救われている方もいらっしゃると思いますので、どうしても苦しい時は頼ることも大事です。しっかりと現状をおお話して下さい。
・職場でのメンタルヘルスでの有効活用とされているのが、各自治体に設置しています、労働についての相談窓口があります。一度だけ私自身電話をしたことがありますが、パワハラ、モラハラについて話をしました。ですが、私の場合は匿名で行ったため何の効力もなく終わってしまいましたが、「こういった現実があります。」と言ったことを話しただけでも私はスッキリしました。
ちなみに働いていた病院名や個人情報に関わることはお話していません。ですが、実際に公にしても良いという方はおられたと思います。ニュースや新聞に取り上げられた企業もあります。私の場合はあまり深刻な状況としてみなされなかったことと、公にすることを悩んだため監査(市役所等が来て状況確認すること)はありませんでした。
いのちの電話や労働に関する相談は守秘義務があります。誰かにベラベラ話すことは禁じられていますので、その部分に関しては安心できます。今は新型コロナウイルスの影響で仕事がしたくてもできない方々が日本全国におられます。金銭面からうつ病になってしまう方も予想されます。
きちんと、ご自身の環境や金銭面でお悩みの方は、うつ病になる前に行政に話して見られるのもいいと思います。以上、私の職場でのメンタルヘルスについてとなります。体験談を交えてお話させていただきました。繰り返しにはなりますが、一人で決して悩まないで下さい。
必ずあなたの助けになる方が現れるはずです。職場での立場がある方、年齢が若年ではない方にとって転職というのは現代の日本において年齢制限はないといえど、会社側は「若い人材がほしい。」という考えが大半を占めていますが、大手の企業はシニア向けの求人を出しているところも多数あります。
実際に私の父親は現在介護が必要な状態ですが、その前には大手のディスカウントストアーで65歳の時に採用された経験があります。実は父親も長年、抗不安薬であるデパスを整形外科から処方され、服用せずにはいられませんでした。そのような状況下でも働きたいという気持ちになってくれました。
かけがえのない家族に少しでも楽をさせたいという気持ちと社会に出ていないと不安であることを以前、話をしてくれました。そんな父を私は心から尊敬していますし、見習わなくてはいけないと感じています。身近に人間に学んだからこそ、私自身も誰かの役に立つためにならばと、この記事を書きました。
誰にでもなりうる「うつ病」と向き合う覚悟で今を生きています。偏見がまだまだあり、心療内科に通院しているだけで、まるで「おかしい人」と思われがちですが、私はつい最近現在の勤め先である、放課後等デイサービスの責任者に、うつ病であることを話しました。
そうすると「ストレス社会だから誰だってなりうる。誰もあなたを責めたりはしないし、これからも無理をしてはいけないが、しっかりと役割を持って仕事に取り組んでいる姿は、みんなと同じ。焦らなくてもいい」というお話をしていただきました。全員が全員「偏見」を持っているわけではないと責任者の言葉を通じて実感することができました。
私は、うつ病の患者ではあるけれど、社会人として福祉に携わるものとして間違った行動はしていません。うつ病だからといって仕事に手を抜かずに、ここまで来ることができたのは、家族や愛する家族、仲間、心療内科の先生がいたからです。孤独とは向き合う暇もないぐらいに日常生活は充実しています。
時には苦しい瞬間に会うこともありますが、乗り越えられるような力を持ちたいといます。これから、精神科、心療内科へ通院をしようとしている方々や現在もうつ病で苦しんでいる方々のためにも、私の体験談がお役にたてればと願っています。うつ病は本当に苦しくて周りの健康な方々が羨ましくなることも多々あります。
「自分は自分、他人は他人」ですから、気を負うことなく日々の生活が充実した毎日が送れるようにと思います。今からが色々なことを学ぶ時だと思っていただければ幸いです。一度切りの人生が、うつ病によって崩れてしまわぬように適切な治療や環境が整うことで苦しい時間がいつの間にか楽しいと思える時間が増えることでしょう。
最後に、この記事を書く時に最初の頃のわけの分からない男女の問題で私自身「こんな苦しいことがこんなことがあったんだ。私は、今は幸せだよな。」と思えるようになっています。「苦しい波」を乗り越えたことは私自身の誇りでもあります。こんな風に前向きになれるまで、私は数年の時間を必要としました。
しかし、他にはもっと苦しい思いをしながら、うつ病と戦っていらっしゃる方も、まだまだいると思います。焦らずにゆっくりと自分のペースで向き合い、時と場合によっては相談をすることで、一人ではないことを自覚できますし、生きていく過程になります。うつ病が苦しくてしょうがない時にはアドバイスさせていただいたことを参考にして下さい。
今は会えなかったり、相談がしにくい現実もあります。電話やメールなどで思いを打ち明け気持ちが少しでも楽になっていただきたいです。
私の体験談は以上になります。この記事を読んでいただき感謝申しあげます。ありがとうございました。この場を借りてお礼申しあげます。