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うつ病の体験談【家族が原因のうつ病】

私がうつ病だと気づいたのは、看護学生時代に先生に指摘されたことがきっかけでした。

講義中にストレステストのようなものをしたことがあり、その講義のあと頻繁に先生に呼ばれるようになりました。

しかも呼ばれるのは悩み事がある生徒用の相談室。

私はなぜそこに呼ばれたのか全く理解できていませんでしたが、そこで先生に言われたことにかなり驚きました。

「普通、毎日死にたいって思いながら生きるなんてことはないんだよ。」と。

私は高校生の時からこの時までの約4年間、死にたいと思わなかった日はありませんでした。

しかしそれを周囲の人に話すことなく、勝手に周囲の人もそうなんだと思いこんでいたのです。

今思い返せば、かなり異常な状態です。

なぜそうなったのか、それは家庭環境にありました。

実の母親が原因だったのです。

20歳になってもお金を持たせてもらえないどころか、友人と遊ぶことも許されませんでした。

学校へは行かせてもらえましたが、そのほかの生活は軟禁状態でした。

また、私には兄と弟がいるのですが、兄弟格差もすさまじく、母は私にきつくあたることも日常茶飯事でした。

顔を合わせると何も言わなくても不機嫌になり、外食へ行くという時には私だけがお留守番でした。

名前ではなく「ブス」と呼ばれることに違和感を感じない生活だったのです。

私が幼いころ両親は離婚しており、実父とは連絡を取らせてもらえず、再婚によりやってきた養父は単身赴任で不在。

帰ってくるのは1年に1度のペース。

そして母は彼氏を作り同居していました。

こんな環境で味方がいない私が母に「死にたい」と口に出した時には「みんなそんな中で生きてる、甘えるな」と一喝されました。

その事を母が自分の友人に話しており、その人から「死ぬなら他人に迷惑かけないように死んでね」と笑いながら言われたので、この状態が普通だと思っていたのです。

看護学校で先生に諭されたときには、麻痺していた感覚が一気に呼び戻されたようでした。

そして、やはり異常だったと気づいたときには、それまで耐えることができていたことが急に耐えられなくなりました。

無駄な忍耐をしていたのだと思って虚しくなったのです。

もう死んでもいいと思いながら家から出ていこうとしたとき、実父から連絡がありました。

そこから再婚していた実父の家へ転がり込むことになりました。

しかし長年離れていた父とは他人行儀、父の新しい家族とも馴染めず、自傷行為をすることが多かったです。

部屋から出ないように努め、押し入れの隅で泣きながら手首を切ることが日課でした。

学校の先生に受診をすすめられていましたが、父が許しませんでした。

結局、祖父母に引き取られ、少し自由になった私はこっそりと病院へ。

「精神科」という名前に抵抗があった私は「心療内科」へ行きました。

正式にうつ病と診断されたのはこの時でした。

そして軽い聞き取りがあったのですが、「幼いころに両親が離婚した。孤独だった。」と具体的な内容は伝えませんでした。

家庭環境に問題があったがすでにその環境からは脱している状態として薬物療法が始まりました。

薬を飲むと気分が高揚し、少し楽になった気がしました。

そして睡眠薬を飲むことで眠ることもできていましたが、朝起きた時のけだるさが激しく体調を崩しました。

寝ているはずなのに目の下にクマができ、ひどい睡眠不足のようになったのです。

そしてまた自殺願望が出てきたときに、手持ちの薬をすべて飲んでしまいました。

そのことにより両親に心療内科へ通っていることがばれてしまい、母が「病気じゃないのに病気のふりして薬飲むおかしな行動だ」と責められました。父は「手に負えない。」とさじを投げました。

そこから煙草を飲み込んでみたり、薬を過剰摂取したり、首吊りをしようとしたり自傷行為を繰り返しました。

病院に対しても抵抗を持ってしまったので治療は受けられずにいましたが、学校を卒業し一人暮らしを始めてから落ち着きつつあります。

今でも突然死にたいと思うことはありますが、治っているのかもしれないと思っています。

仮にそれがうつ病の名残だったとしても、すぐに落ち着くのでこのまま生涯うつ病と付き合っていくつもりです。