私は大学卒業後、劇団に所属した先でうつ病を発症しました。
実はそれより前から、メンタルクリニックに通っていました。
高校生の時に初診を受けたものの、当時は「未成年のうちから明確な病名で診断すると危険」と医師に判断され、デパスとルボックスを処方されていました。高校・大学と処方箋をお守り代わりに生き延びていましたが、それが限界を迎えたのが劇団所属時だったというわけです。
つまり最後の後押しをしたのは劇団でしたが、病巣はそれまでの生活にすでに根付いていたのです。
当時の私には、「役者になりたい無謀な夢を見る私」と「普通の人が生きる人生を目指し生きる私」の二人がいました。
夢見る私は簡単です。役者を目指し、高校と並行して専門学校へ通い(親もそれを認めてくれていました)、役者に必要なコミュニケーション能力に著しく欠けたまま、ぬくぬくと夢を見続けている私です。高い授業料を支払って何の成果も得られないまま、一応の地力は身につけていたのか劇団に所属し、パワハラによって粉々にされた私です。
一方の「普通」にならなければいけない私は複雑です。
私が育った家庭は一般的な家庭とは少しズレていて、役者や音楽家などの芸術的人気稼業の家に育ちエンタメにもひどく寛容だったのです。
よく聞くような、役者を目指して親から反対を食らう、ゲームやアニメを禁止されるような経験はほぼありませんでした。ただし人気稼業の定めとして、収入が非常に不安定でした。
かつては古びた一軒家を購入することもできましたが、一方で年収がゼロになり、借金をして回った時期もありました。
また、もともとの気質として集団に属することが苦手かつ、芸術家の独特な価値観に育てられた私は学校にうまくなじむことができませんでした。小学生の頃から学校になじめなかったことに加え、家業ゆえの不安定な生活から私は「芸術家や個性というのは悪だ。普通の家庭というのは会社員や公務員をこなせる人がそろう家庭だ。私はそうならねばならない」と強く意識していったのです。
しかし、夢を見る私は中学の頃から顕在化していました。いくら「普通」を目指していてもそれまで培われてきた常識というのは簡単には覆せません。そこに「役者を夢見る私」もいて、私は非常に頑固でした。
自分が納得しなければ他人の言うことは聞かず、他の人と同じであることを避けたがり、自分のことが大嫌いでした。「こうであらねばならない」自分と「こうでありたい」自分と「本当はこうだ」という自分がまったく違うのです。
周囲と自分との軋轢にくわえ、友人の自殺や喧嘩相手の学校を巻き込んだプチ家出などのトラブルを経て、ある日私は体が動かなくなりました。朝起きて学校へ行こうとすると体が重くて動かなくなるのです。それがメンタルクリニックへの受診のきっかけです。
受診後、投薬をしつつも高校を卒業、専門学校と並行して予備校へ通っていた私は大学へ進学、そこでは順調に生活をしていました。
しかし卒業後所属した劇団でパワハラを受けます。その劇団は団長が絶対権限をもち、他の団員は信者のようでした。これが役者の世界では当たり前だと言われました。意見を言ったり間違えた異論をすれば2時間みんなの前で泣くまで罵倒されました。
団員の日常生活やバイトの選び方、髪の切り方まで指定し、一人暮らしをしろと常々言ってきました。その人たちの近くに住めば、何かと世話をしてくれるのだそうです。
支配を受けたくなく、しかし意見を言えば怒鳴られ、次第に私はなにも言えず固まることしかできなくなっていきました。すると団長はそれを見て「みんな一度はそうなる。それを乗り越えればあとは楽になる」と笑ったのです。それを聞いて私は、ここは人格を破壊して都合の良いように人格を再構成させる場所だと理解しました。
それからしばらくして劇団はやめましたが、すでに私の「役者になりたい自分」は粉々に破壊されました。「普通であらねばならない自分」も、就活に失敗し、劇団で教わった役者としての普通が砕け病んでいた自分にはもはや目指せるものではなくなっていました。
残ったのは、プライドだけが高くて、不安なことだらけでなにも踏み出せず、親に甘やかされ、自分一人ではなにもできない自分だけでした。
それから5年以上経ったいま、私はうつ状態からはほぼ回復しましたが、まだこの何もできない病んだ自分は残っています。新しい夢はありません。きっと、もうしばらく時間はかかるのでしょう。
でもその前に、死んでしまいたくてたまりません。