物心ついた時から周りの大人の顔色や機嫌を敏感に感じ取ってしまうような子供でした。小学生時代はとにかく周りの雰囲気が暗くならないように少しふざけることによって場の空気を読み、周りからは明るくてひょうきんな子として認知されていたと思います。
でも実は人一倍色んな人に気を使って機嫌を伺っていたため、たまに人と接する時が疲れてしまう時がありました。人間関係に疲れた時は別人のように周りとの接触を完全にシャットアウトし一人の時間を確保して自分自身を保っていたのだと思います。
また生真面目な性格のため物事を柔軟に考えるのはとても苦手です。何事も予定調和以外の事が起こると今でも緊張し迅速な対応をするのはなかなか困難です。
これは自分自身が考え行動し、成功して満足した経験があまりにも少ないのと、自己肯定感が人一倍低いことからくる生きづらさなのかと思います。その自己肯定感の低さがピークに達したのは中学生から高校生の6年間です。
まず中学生の時、部活の顧問から周りの生徒以上に身だしなみや普段の学校生活を常に監視され且つ好きでバスケットボールを始めたのに完全に試合に勝利するためだけの練習だった為全く性に合わないまま毎日人格否定まがいに怒られ続けていました。
その経験から自分は人から言われたこともまともに出来ないダメなやつだと思い込んでいました。 高校生の頃は一応進学クラスに入学し、部活も入部せず、馬の合わない担任の教師にも一切信用せずにひたすら行きたい大学のために勉強していました。
教師から出される膨大な数の宿題も自分に指導が入らないように身を守るために他の生徒はほぼ何かしら提出できない宿題があるにも関わらず私ただ一人全て提出していました。
高校3年生になるとさらに生活はストイックになり平日は家に帰ってすぐに身支度を済ませて1度寝てから朝の3時ごろから通学時間になるまで勉強、休日はご飯とトイレ以外はずっと机に張り付いて10時間ほど勉強していました。
この当時は少しでも気が緩むと自分は奈落の底に落ちるという感覚でひたすら勉強していたと思います。こんなにも自分を追い込んだ3年間だったのに結果はことごとく不合格でした。
この当時は希望の大学に合格しないとその先の人生は何もうまくいかない、全ては学歴社会だと思い込んでいたため完全に自分の人生は終わったという絶望感でいっぱいでした。
受験が終わり、卒業までの3カ月もの間自分の部屋から一切出る事ができず親、友達とも会話したくなくなりとにかく塞ぎ込んでいました。
もう一回浪人しようかと自分で決め予備校に行かせてくれと父親に直談判しましたが、父親はやつれ切った私の表情を見て「もう十分頑張った、これ以上苦しむ必要も一切ない」と私を無理やり部屋からだし滑り止めで受かった大学へ進学するように促されました。
当時はまだ滑り止めの大学に進学する事に納得がいっていませんでした。しかし、社会人になって色んな経歴の人と話す機会が増え、案外いい大学に行ったからといって仕事ができるわけではないことがわかってきました。
また、全く知らない大学に行っても仕事の効率のいい人はいいので本当に人によるなと痛感させられました。今学生時代の自分に一言かけるとすればそんなに学歴に縛られなくてもいいと言ってあげたいです。