一人の女子大生がいました。その子は当初、発達障害と診断されました。
すぐに薬物治療をして症状の改善が見られた反面、当時の薬にはまだジェネリックが存在しなかったため、食欲不振や嘔吐といった副作用に苦しんでおりました。
無事に大学を卒業して仕事をし始めた頃のことです。どうにも調子が出ないことが増えました。
最初はほんの少し気怠いな、と思う程度でした。それが段々辛くなり、ついには朝起きるのに時間がかかるようになりました。
幸いというべきか、仕事に支障はありませんでしたが、休憩時間にはずっと寝てばかりの生活となりました。
障害緩和のために通っているかかりつけ医に相談すると、一つの薬が処方されました。気分の上昇を促し、やる気を出す──いわゆる鬱期に処方されやすい薬でした。
彼女はそれを言われた通りに服用しました。するとどうでしょう、あんなに気が重かったのが嘘のように軽くなり、仕事も簡単にこなせるようになりました。まさに薬のお陰だと嬉しくなりました。
ですが、彼女は自身のもう一つの病気を忘れていたのです。そしてそれを、医者に隠していたこともです。
その病気は、抗うつ剤を使用する際には慎重を要することを彼女は知りませんでした。
解離性障害。ハイテンションになる為の薬ではなく、情緒安定の為の薬が適していたのです。
ある日、目が覚めた時に見たのは天井にある長い蛍光灯、足元を通る看護師さん、聴き慣れない心電図音──そう、彼女は病院にいました。
パニックになった反面、頭のどこか冷静な部分で彼女は分かりました。抗うつ剤によってハイになった自分は、どうやら危ない橋を渡っていたようだと気づきました。。それは意識が戻ったことによる医師からの説明と、首に走る鈍い痛みで気づきました。
かけつけた母親に泣き笑いをされ、職場にはゆっくり休んでくださいと声をかけられいたたまれませんでした。自身に起きていた物事全てを話せなかったゆえに起きたこの出来事を、しかし誰も責めなかったのです。もう一度やり直そうと、そう彼女は決意しました。
その後精神科へ転院した彼女は徐々に回復していきました。今までと違い、レキサルティやセニランといった不安解消のために用いる薬が処方されたからでしょう。
無茶をすることなく安定していきました。 周囲の助けを借りて仕事も復帰しました。そうして今も、彼女は奮闘しています。もう二度と、あんなのはごめんだと傷に手を這わせて。