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うつ病の体験談【病気と診断されてから復帰ができるまで】

私がうつ病まで行かずとも、適応障害と診断されたお話です。

私は31歳独身の男です。大学院まで出てようやく夢であった自動車関係の仕事に就き3年ほどがたったころでした。

仕事の内容は激務でしたが、自分がやりたかった仕事でもあったためそれなりに充実して仕事に打ち込んでいました。

しかし、だんだんと自分が持っている能力と仕事で必要とされている能力に大きく乖離があるのではないかと思い始め、何をやってもうまく行かないと思うようになっていきました。

実際は、些細なことや仕事の性質上うまく行かないことの方が多いのにも関わらず全てを自分の能力不足と判断していました。

影で誰かが私のことを「能力のないやつ」と悪口も言われているのではないかとの妄想も繰り返すようになりました。

その結果、ある日の仕事中、思考能力が低下し、目の前にあるパソコンの画面に映る文字やグラフが全く頭に入ってこなくなりました。

夜眠ることもできなくなり、職場で痙攣も起こしてしまいました。

色々調べたり、身近にいた友人からのアドバイスでメンタルクリニックへと行くことにしました。

その結果は適応障害でした。もう少し放置していたらうつ病になっていたかもしれないと言われました。

その結果を知らされた当初は、そんな病気にかかったと職場に言ったら今の仕事ができなくなるかもしれないと思ったため、薬だけを処方してもらい、診断書を出してもらうようなことまではしませんでした。

それからしばらくは薬を飲みながら仕事をし続けました。

なんとかそれから3年はしのぐことができ、昇進もできました。

その時には部下もできていて、波に乗って仕事も進められるようになっていました。

ただ、その仕事の内容はよりハイレベルになり、責任も重くなっていき、上司や部下の人間関係の維持も簡単ではなくなっていきました。

板挟みな人間関係に陥ることがあり、自分の力だけではどうすることもできなくなるような場面が多々ありました。

薬を飲んでも効かなくなっていき、また思考能力の低下と痙攣を起こしてしまいました。

再度メンタルクリニックに行った時には「一度仕事は休んだ方が良い」と先生に言われ、私は仕事を休むことを決意しました。

期間にして半年程度でした。

この病気にしては短い期間で復帰でき、今も仕事を続けております。

仕事を休む考えがなかったにも関わらず休む決断をしたり、早めに復帰できたのは友人の存在に他なりません。

会社とは全く関係のない環境にいる友人だけに、最初に体調を崩した時から私の体を心配してくれていました。

「君の命が一番大事だ」「健康でなければ仕事はできない」「死ぬぐらいならいつだって仕事はやめろ。体が健康であれば生きていけるのだから」そう言葉をずっと私に向けてくれていました。

こんなことを言ってくれる人がいることが嬉しくて、この友人のためにも自分を大事にしようと思ったのです。

休職中も時間があれば外に連れ出してくれたり、心のケアをしてくれました。

かけがえのない友人を持つことができた結果、自分の体調と常に相談しながら無理しすぎないように充実した日々を送れております。