20年以上前になると思いますが、うつになりました。街の中で、事務職ですが毎日人と接する仕事をしていました。満員電車に乗り、人混みの中を通勤していました。
結婚後、夫の転勤で田舎の、それこそ「過疎地」と呼ぶのに相応しい場所に住み始めました。知り合いもいなくて、ほとんど人の姿を見ることがない生活。
唯一話し相手になるはずの夫は、朝早くから夜中まで仕事で家を出ており、元々口数の少ない人ですし、ようやく帰宅してもご飯を食べるのが精一杯なくらい疲れており、私との会話はありませんでした。その時から症状は出ていたと思います。倦怠感、喪失感など。
全く声を出すということをしなくなって、一ヶ月ほどしたある日、電話に出ようとしたら、むせてしまって声が出ませんでした。1年半で3回くらい、声が出なくて咳き込むという症状が出ました。
その後、夫の転勤で今度は田舎ですが、人も店もある町へ引っ越し、習い事を通じて人と接し、声を出すようになって、その症状はなくなりました。
しかし、今度は夜眠ることが出来ない、食欲がない、朝起きられないという症状が出てきました。ご飯を食べないのに毎朝嘔吐します。日によっては胃液を吐きました。
ある日、まわっている洗濯機を見ながら、何もないのに涙が出てきました。おかしいと思う症状は他にもありました。
車を運転しているときに、前の車の丸いライトが、こちらをずーっと見ているように感じたり、商業車の荷台の瓶の先がこちらに飛んで来るんじゃ無いかと恐ろしく思ったり。
病院へ行って、何科を受診すればいいのか分からず、とりあえず内科の初診カードを作るために記入しようとすると、自分の名前を書く手が震えていました。
内科で「眠れない。食欲不振。不安感がある。」など伝えると、精神科に行くように言われ、そのまま精神科へ。
睡眠導入剤や精神を安定させる薬などを処方され、まさか自分が精神科でお世話になるとは思わず、かなりショックを受けて帰宅したのを覚えています。
呆然としたまま、それでも夫の身の回りのことはしなければと、食事や掃除などの家事は一通りこなしていました。
精神科の医者は入院するようにと言ってきました。「一度、旦那さんと離れて、やらなくてはいけないという気持ちから離れてみなさい」という内容だったと思います。
初めての入院。個室ではなくベッドが3つある相部屋でした。人と接することに飢えていた私は、精神科専用の食堂で、誰彼構わず会話をしました。その時に、自分を客観的に見る瞬間が何回かありました。
その時に、自分は今「普通ではない生活をしている」と認識しました。一人でこの病気と戦っていかなくてはいけない孤独。このしんどい生活を続けていけるのかという不安。この世からいなくなりたいという気持ちとの戦い。
この戦いは、数年かかりました。薬から離れてようやく「普通」の生活が出来るようになっても、季節の変わり目なんかは、やはりホルモンバランスが崩れやすいので、精神的にも体力的にもキツイ時がありました。うつは、二度となりたくない病気です。