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うつ病の体験談【母親が鬱病になってしまうまで】

実際にうつ病を体験された方の体験談を載せています。

私が当時中学生だった頃、母親が鬱病と確定し問題行動を起こし両親が離婚しました。

私の母は元々責任感が強く、一人娘の私にかなり過保護な印象でした
物心つく前だったので大人になってから母親の祖母から聞いたのですが私が小さい頃から父と母は金銭感覚の違いでよく物を投げ合い暴力もあるほどの喧嘩をよくして、何度か私も巻き込まれていたらしく、決定的だったのが私が怖くなったのか泣いて部屋から逃げてしまい、そのまま階段から転げ落ちてしまったことがあり、そこから母は次第に壊れ始め異常なほど私に過保護になっていったそうです。


幼稚園も心配だから、離れるのが嫌だと行かせてもらえず、小学校も母の過保護が止まらずあまり通学させてもらえませんでした。
父はその様子を見てさらに喧嘩がひどくなり、母に「病院に行け!」と何度も言っていたのですが、母は『病院に行く金がない、生活費が足りないの』と泣き喧嘩、今となってはわかりますが確かに私の家は裕福ではないのに父は趣味の車に給料の半分をつぎ込み、母は私に欲しいもの、欲しそうなものは全て買ってくるというお互いが病院に行けないほど生活費を使い込んでいました。
母は自分の両親に何度も『離婚して娘を連れて帰りたい、限界だ』と相談していたのですが甘えるんじゃない!と一喝されてしまい頼るところは一切なかったようです

その後も私が学校に完全に行けなくなってしまい、それをみて母は『学校連れて行かないと…でも離れたくない…1人にしないで怖いから』と私に完全に依存するようになってしまいました、思えばきっとこの時点で母は完全に壊れていました、自分の両親にも突き放され旦那とは金銭感覚が合わず喧嘩ばかり、娘は引きこもり。
それでもまだ母は病院に行けていませんでした。

そんな時、限界を感じてしまったのか母は私を置き去りにして1ヶ月以上失踪、お金がなくなると家に帰ってきて虚ろな目で引きこもり、またしばらくすると置き去り失踪を繰り返すようになってしまい、ここでやっと父と母の両親が動き、無理矢理居場所を突き止め強制的に病院に連れて行くことになりました。
その頃には目が虚ろで全く喋らなかったのですが「病院に行くから」と伝えた途端母は『嫌だ!病気じゃない!!私は普通なの!!!なんで!!!』と大声で暴れ、病院に着くと閉鎖病棟へ即入院。
しばらくして鬱病の診断が正式に降り、父と母は離婚することに、母は私に依存していて一緒にいるとよくないとのことで父が親権を持つことになりました。
親権の話し合いにだけ私はついて行ったのですが母の目は焦点が合わず、私の名前を何度も呼んでいてすごく恐怖を感じたのを覚えています。

その後完全に母とは縁を切り、母方の祖母とだけたまに連絡を取っていたのですが退院してからも薬を飲もうとしないで暴れたりずっと部屋から出てこないと思ったらまた失踪しそうになったりと、そんな状態が3年近くは続いていたそうです。
今は暴れることもなく、ただ家の中と病院に行く以外は引きこもりの生活になっていてまだ鬱病と戦っています。

私の場合私自身が鬱病にはなりませんでしたが目の前で鬱病になっていく、精神が壊れていく母をずっと見ていました
鬱は人を変えます、母のような被害者を出さないためにも近くに精神的に困っていそうな方がいたらすぐに無理矢理にでも病院に連れて行ってください、手遅れになる前に。