うつ病・抗うつ薬の体験談を320件ほど公開しています(2020.7.25 現在)

うつ病の体験談【私が鬱になった時の話】

私の性格はマイペースでのんびりした性格です。

空想が好きな事もあって、学生時代はデザイン系の学部で色々なデザインを考えたりしていました。アルバイト先でも頼りにされており、当時の自分に自信もありました。

学生時代にうつ病になった友人がいましたが、私はその友人のように完璧主義でもなく、うつ病とは無縁と考えていて、うつ病に関して深く調べることはありませんでした。

そんな私が、数年前に新入社員として入社した会社でうつ病を発症した時のお話をしたいと思います。

私は数年前に田舎の小さなIT企業に新入社員で入社しました。
会社に入社する前の私は期待に胸が高鳴っていました。入社前の面接では堂々と緊張せずに自分をアピールすることもできたし、面接のために制作したポートフォリオも褒めてもらいました。

面接や入社前の歓迎会では、社長や社員の皆さんが優しく笑顔で接してくれたり、色々な話しをして打ち解ける事も出来ました。業務内容も自分の得意な事でしたし”きっとうまくいく”とワクワクしながら入社したのを今でも覚えています。

入社してからは、雑務や業務内容についてしっかり教えてもらい、メモ用紙にはびっしりとメモを書き残しました。聞いただけではもちろん身に付かないので、帰宅してからも目を通し、翌日にはしっかり覚えてすぐに作業できるようにと復習・予習もかかさずにやっていました。

まだこの頃は、早く覚えて早く作業すれば先輩や上司から褒められると思っていました。

入社して数週間後、社内では毎日上司の説教が響きわたっていました。毎日怒られているのは私と一緒に入社した同期の男性でした。

最初は「もっとこうしてみてはどうだろう」という優しいアドバイスでした。それが徐々に困り顔、ため息、注意、説教、怒鳴り声と変化していきました。
「そのことについてさっきも教えただろう、どうしてわからないんだ、何度同じことを言ったらわかるんだ」という怒り声が毎日聞こえてきました。

優しそうな笑顔が印象的だった同期の社員の顔は、泣きそうな顔に変化していき、どんどん表情がなくなっていったように見えました。

声も最初は「すみません、すぐに修正します」とはつらつとした声だったのが、「すみません、すみません、すみません…」と消え入るような声になっていきました。その後は数分ごとに「すみません」の繰り返しの声が聞こえるだけになりました。

私と彼とは部署が違っていたので、彼のミスがどれほどのものか分かりませんでしたが、毎日そんなにも怒られることをしているのだろうかと疑問を持っていました。

他の先輩からも「彼はだめだ、なにを教えてもうまくいかない」と愚痴をちらほら聞くようになり、社内では彼の出来が悪いという雰囲気がありました。

その時、私は先輩社員によく「あなたは彼みたいになっちゃだめだよ。上司に怒られないように気を付けてね」と言われたことを覚えています。この言葉が毎日ずっと私の頭の中でループしていました。

上司に怒られないようにする、この言葉が私が会社を辞めるまでずっと呪いのように頭に残っていました。そして私もいつか彼のように怒られる日々が来るのではないかと少しずつ不安がよぎるようになり、私の心にはモヤモヤが残るようになりました。

ある日、私は上司に呼ばれてしまいました。原因は些細なミスだったと思います。
遂にこの時が来てしまったと思いました。緊張しながら上司の部屋のドアをノックし、部屋に入りました。

「失礼します。すみません、何かありましたでしょうか」そう尋ねた声は少し上ずって震えていました。上司は低い声で「ここのミスが気になった。修正しておいてくれるか」とパソコンの画面を指しながら言いました。「わかりました。すぐに修正いたします」と言い、私は頭を下げ部屋を出ました。

時間にして5分足らずでした。しかし、私にとってはとても長い時間に感じられました。そして、その頃から慣れもあり、少しずつ私のミスが増えてきました。

ミス自体は一つ一つ小さなものでした。だからこそ私は軽く考えていたのです。これくらいすぐに直せる、ばれないと思っていました。自分の今までの経験を自負し、うまく切り抜けられると思っていましたが、上司はそれを見逃しはしませんでした。自分がミスを見つける前に、上司に発見され、ここが間違っているよと指摘される事が多々ありました。そのたびに気を付けてねと言われました。

ある日、上司がポツリと「ここ最近ミスが増えているよ、どうなっているんだ」と呟きました。

その時の上司の目があまりにも鋭く、怖くて私は何も言えませんでした。私が黙っている間、上司の部屋の外からは他の社員のタイピング音がカタカタと聞こえるだけです。上司は呆れたように自分のデスクに戻るように言いました。

私はまた、失礼します、と言い部屋を出ようとしました。その時に上司が「そうやって黙って、頭を下げて部屋を出ればいいと思っているのか」と私に投げかけました。私は言い訳をしつつ、申し訳ございませんと謝ることしかできませんでした。

上司の注意を受け、自分のデスクに戻った後も心臓がバクバクしていて、すぐに作業にとりかかることができませんでした。今までのやり方ではだめだ、もっと完璧にしないと。マイペースでのんびり屋だった私がそれではいけないと強く決心した日でした。

それから数週間後、私は他の社員と上司の部屋に呼ばれました。「新しい事業についてこのメンバーで頑張ってもらう。新入社員も先輩社員も気を抜かないように頑張ってほしい」と上司がメンバーに伝えました。

続けて「今までやってこなかったような新しい事業案を考えてほしい」との指示を受けました。私の得意分野でもあり、この機会に上司に認めて欲しい思いから毎日色々な案を考えていました。しかし、経験の少ない社員の案などは通る訳もいかず、上司のため息と説教を何度も受けました。

今までの業務に並行して新事案の提案など、一日の作業量はどんどん増えていきました。入社して半年が過ぎた頃から、定時退社はなくなりました。時間はすぐに経ち、時計を見ると22時を回っていたこともありました。

それでも私はいつか認めてもらえる様に、今は頑張る時期だと疑ってはいませんでした。この頃から、平日の疲れを癒すように休日の睡眠時間が増えたり、あまり外に出ず仕事のアイデアを考えたり、少しずつ自分で気づかない程度に生活が変わってきました。

ある日、私はついに上司に怒鳴られてしまいました。上司の部屋のドアは締め切られ、上司と私だけの閉ざされた空間で、上司の怒鳴り声が響いています。あまりの怖さに私は泣いてしまいました。「泣けばいいと思っているのか、これだから女は嫌いなんだ」という上司の声で一層涙は止まらず、上司の怒鳴りも一段とヒートアップしていきました。

なんとか部屋を出られた時も安堵感はなく、いつまでも心臓がドンドンと強く脈打っていました。またその時期は新事業があまりスムーズに進まなかったこともあり、上司のイライラもたまっていた様でした。

私だけでなく、同期の男性や、先輩社員、会社を一人で支えている事務員の女性、全ての社員に当たり散らすかのように、部屋に呼んでは怒鳴り散らしていました。

上司が社員を信用していなかったのか、時折社員に今日のスケジュールを確認させ、上司に伝える指示を出す様になりました。そしてそのスケジュール通りに社員が行動できていないと部屋に呼び出され、怒鳴られていました。

もはや監視に近く、上司の一言一句、その通りに動かないと上司の部屋に呼ばれるというものでした。

この頃には頑張ろうという気持ちは薄れ、上司に怒られないよう、ひっそり隠れるように業務をこなすことを目標としていました。今思えばおかしなことですが、それほど上司は恐ろしく畏怖の存在でした。他の先輩社員からも「どうやったら上司に怒られずにこの新事業を成功させることができるか」なんて話が飛び出すほどでした。

そんなことが続いたせいか、私の生活は少しずつ歪みが生じていました。元々は出掛けるのが好きで、よく友人と遊びに行っていましたが、段々と少なくなってきました。

今は遊ぶ時期じゃない、仕事に力を入れる時期なんだ、上司に怒鳴られるような人間が休日に楽しく遊び呆けている場合ではない、そう強く思うようになっていました。

また、平日の帰宅時間が今までよりも遅くなり0時過ぎになっていました。先輩社員でさえ、帰宅が20時か21時過ぎだったので、新入社員の私はもっと頑張らなくてはいけないし、楽をして帰る訳にはいかないと本気で思っていました。もはや家に帰ることが悪なのではと思うようになっていました。

当時は恋人と同棲をしていたので、炊事洗濯等の家事も自分でしなくてはいけないため、毎日の就寝時間は深夜2、3時過ぎで眠気覚ましにエナジードリンクを持って会社で飲む日々でした。会社や上司のことを考えると頭痛や腹痛が止まらなくなり、目の下には紫色のくまができ、心身共に疲れ果てていました。

毎日会社では上司に怒鳴られ、家では慣れない家事に遊ぶ余裕もなく、私はだんだんと表情が暗くなり物事をあまり深く考えられなくなっていました。

明日もまた怒られるのだろうとぼーっと思うだけの生活をしていました。悲しくもないのに、ふとした瞬間に涙がでるようになっていました。また、死にたいという思いが頭の中をよぎることが増えました。

ただそれでも、なぜか私は”まだ大丈夫、うつではない”と思っていました。きっと、うつ=怠けている、甘えている、というようなイメージがあったからかもしれません。これくらい社会の人は思うことで、立派な社会人になるための試練だと思っていました。そして、乗り越えられる日がくるのだろうなとボヤっと思っていました。

そんなある日、私にとって決定的な出来事が起こりました。毎日怒鳴られてヘトヘトだった私は、出社していつも通り朝一番のメールを確認しました。そこに一件、上司が早朝に送ったメールが届いていました。

そのメールは他のメンバーにも同時に送られていたもので、文章には「○○さん、○○くん 本日の業務内容を確認し、教えてください」と記されていました。そのあとに「○○」と私の名前のみ呼び捨てにされ「今日の予定を確認しろ、すぐに発表できるように、今すぐに」とありました。

その文章を見た時、今まで以上の恐怖という感情が私を一気に包み、息ができなくなりました。他の社員は動き出しているのに、メールを見終え自分の作業にとりかかっているのに…私は動けずただ大きく肩で息をするだけでした。

そしてついに過呼吸を起こし、私は座っていられず椅子から落ちてしまいました。他の社員に気付いてもらい、その日は上司に会わずにすぐに自宅に帰宅しました。家についてからも過呼吸と涙がしばらく止まりませんでした。

数時間後には疲れからそのまま寝てしまいました。起きた頃には夕方になっていましたが、私の頭はとてもぼんやりとしていて、ただ死にたいと思っていたことを今でも覚えています。

それから一週間後、近所の精神病院に行き、私は「うつ」と診断されました。診断を聞きながら、ああ私もうつ病になってしまったんだなと考えていました。その思いが伝わったのか、医師が「うつ病は誰もがなる病気。これは怠けているとか甘えではないんだよ。今はしっかり休むのがあなたの仕事」と言ってくれました。その言葉を聞いて、少しだけホッとしました。

しばらくしてから、先輩社員と面談がありました。これからどうしたいか、会社を辞めるのか、続けて頑張るのか。私はなかなか答えが出ませんでした。すぐに答えを出せるような簡単な質問ではないのは勿論、うつの症状から自分で判断が出来なくなっていました。

この頃の私は上司の言いなりだったこともあり、自分で選択し判断することが出来なくなっていました。しばらく悩み、病院の医師にも相談をしました。時には何も考えずのんびり過ごしたり、休みながら回復を待ちました。

倒れてから数か月後に私は答えを出しました。「会社を辞めます。すみません、やっぱり続けられません」と、頭を下げ伝えました。私は倒れてから一度も上司と顔を合わせることなく退社しました。

倒れたのは秋頃でしたが、退社を決断したのは春になる少し前で、もうすぐ桜が咲く時期でした。決断するのにすごく時間がかかるほど私は疲れていたんだなと、その時にようやく実感しました。

今はその会社とは何一つ関係はなく、その時に働いていた上司や社員とも誰とも繋がりはありません。連絡先も削除し関係を絶ちました。それくらいその会社のことをいち早く忘れたかったのです。

新入社員で入社してから約2年間、いつも不安と恐怖と疲れが私にまとわりついていました。その後も不安で過呼吸を数回起こし、少しずつですが回復して、今ではその会社や上司のことを笑いながら話せるようまでなりました。

しかし、それはあくまでもまだ軽いエピソードを話していたからで、今こうやって当時を思い出しながら文字を打っていると、心臓が早まり、頭痛が起き、少し気持ちが辛くなっていきます。それほどあの2年間は私にとってトラウマでしかありませんでした。

誰でもうつ病は発症するし、自分が思っている以上に不調が体や心に如実に表れてきます。
完璧主義な人や、強くNOが言えない気が弱い人などがうつになりやすいのは確かです。しかし、そうではない気質の人でも何かのきっかけがあれば簡単に折れてしまいます。

そうなる前に誰かに救いの手を気軽に求められるような、そんな環境が生きる人全てにあればと思います。きっと私にとっても、これからも辛いことや乗り越えるべきことがあります。人生は楽ではないので、一人ではどうしようもないことの方が多いと思います。

ただその時は一度立ち止まり、ゆっくり深呼吸して考えていければと思います。昔のように「頑張るべき」とは思わずにのんびりやっていきたいです。

けれど、立ち止まっても再び動き出すのも自分なのは事実です。やめるも進むも自分で決断し、行動しなければなりません。そんな時もゆっくり考えていければいいと私は思います。

自分の周りで誰かが悩んでいる時は見捨てずにその手をとり、その人にとっての道しるべとなる事ができればと思います。