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うつ病の体験談【途上国の子供たちに救われました】

恥ずかしいお話ですが、大学2年生の時、失恋で鬱になりました。 2年間付き合っていた同じ大学の彼より、ほかの女性が好きになったとのことでフラれてしまったことが理由でした。

それまで大きな挫折を味わったことがなかった私は、プライドを傷つけられ、また生活の一部であった彼を失い、生きた心地がしませんでした。 食欲がみるみるなくなり、何を食べても美味しくない状態に。この状態が数週間続いたために、病院で点滴を打ってもらいました。

ですが、その点滴すらなかなか受け付けられませんでした。針が体の中に入っていくことを考えるだけで気が狂いそうになり、涙を流し悶えながら点滴を打ってもらいました。 医師からは鬱と診断され、抗鬱剤の薬を病院で処方してもらいましたが、効いているのかどうか、よくわからない状況でした。

言いようのない不安が襲ってくるのは、決まって朝目が覚めて今自分が置かれている状況を思い出したときです。 だんだんと脳が過去の事を思い出していくのですが、脳裏に浮かぶのは辛い記憶ばかりで、朝はしばらくベッドの上で動けない状態でした。

何より、単なる失恋でこんなにも精神的に打ちひしがれている自分に辟易しました。頭ではこのようなことで精神を病む必要なんてない、とわかっているのですが、心が付いていかない状態です。

カウンセラーは嫌いでした。なぜ、見知らぬ人に辛い経験を打ち明けなければならないのかわからない、もう誰にも話したくない、と心の中では思っていました。 このため、カウンセリングはすぐにやめてしまいました。

そんな中、母親に海外でボランティアをすることを薦められました。候補は中国の孤児院か、フィリピンの孤児院。 中国の孤児院のパンフレットには、火傷を全身に負って捨てられていた赤ちゃんの写真が載っていました。

私はそれをみて、世界にはもっと苦しい思いをしている人がいる、私の悩みなんて世界の人々の苦しみと比べたら米粒みたいなものだ、と感じたのです。 私は、孤児院でボランティアをすれば、私の中の何かがかわるかもしれないと思い、フィリピンへと発つ決心をしました。

フィリピンの孤児院には、親に捨てられた子供たちが30人ほど暮らしていました。私は彼らへの英語と美術の授業を担当させてもらい、その他子供たちの食事の準備をしたり、お風呂に入れてあげたり、散歩を引率したり、孤児院を掃除したりなどの活動をしていました。

2か月ほどそのような生活を続けていると、自然と日本での生活のことを思い出す機会も少なくなっていきました。 環境が変わったことで、私の気持ちもだいぶ変わったと思います。そして何より、私よりも辛い思いをしている人はたくさんいることをフィリピンの現地で実感しました。

それからは多少つらいことがあっても、自分はすでに十分に恵まれていることを自分に言い聞かせるようになり、ちょっとやそっとのことではめげなくなった気がします。 上司に怒られても、友達に批判されても、自分には家がある、明日食べるご飯がある、家族がいると。

こういった当たり前のことも享受できない人々がこの世にはたくさんいることを考えると、自分は鬱になんてなっていられない、と思うようになってきたと思います。 鬱と診断されてから20年ほどたちますが、あれから同じような症状が出ることはありません。

これからのことはわかりませんが、いろいろな人の人生や価値観に触れたことで、私の精神状態はある程度は強化されていったのではないかと思っています。