〇楽しい学生生活
中学生になった私は初めて着るセーラー服にドキドキしながら、仲の良い親友に囲まれて毎日を過ごしていました。
吹奏楽部に所属し、大好きな音楽を仲間と一緒に楽しむことの素晴らしさにも気づけた日々。しかし、私にとっての楽しい学生生活はここまでとなってしまったのです。
〇親友からの無視
「ねぇ。一緒に帰ろうよ!」
「…。」
ある日をさかいに大切な親友から無視されるようになりました。何が起きたのかまったくわからず思い当たる節も見つかりません。孤独って人生において1番怖いこと…。この時初めて思い知らされたのです。
〇うつ病の始まり
翌日から何度も話し掛けたのですが状況は変わらず。私は今の思いを手紙に書いて渡しました。
「どうせ返事なんてくれないんだろうな…」
1週間後、意外にもその親友から返事がきたのです。
「〇〇ちゃんといるより他の子たちといるほうが楽しい、もう前みたいに仲良くできない」
…ここから私のうつ病生活が始まりました。
〇診断名はうつ病・拒食症
毎日水も飲まない、食事もとらない、眠れない日々が2週間。その頃には歩くこともままならない状態にまでなっていました。さすがに命の危険を感じた親が連れて行った先は、精神科の思春期外来。
初めてのカウンセリングは先生と目も合わさない、何も答えない、ただ座っているだけでした。そのまま精神病棟に入院することになり外に出ることも許されない牢屋へと送り込まれたのです。
〇地獄の入院生活
入院生活は最悪なものでした。逃亡のおそれがあるため、病棟の入り口には鍵がかかっていて看護師さんと一緒じゃないと外には出られません。自殺に使われるであろうCDプレーヤーの紐、刃物、ガラスなどの持ち込みは禁止。夜の22時には消灯してしまうので、眠くなくても横になるしかありませんでした。
その中でも1番つらかったのが親との面会。心配をかけてしまっている罪悪感と、過保護な親への反発心から「早く帰ってほしい…」ひどい時には親の手を振りほどいて、過呼吸になりながらベッドで暴れたこともありました。
〇必ず光は見えてくる
それでも毎週カウンセリングを受けたり薬を飲んだりして、少しずつ元気になっていきました。食事もとれるようになって車いすから自分で歩けるようにもなりました。入院から2か月、ようやく退院の許可がおりたのです。
それから病院併設の養護学校へ通うこととなり同じような境遇の友だちもできました。今では自分の苦しかった経験から「人のために役立ちたい」とボランティア活動を積極的に行っています。
自分の殻に閉じこもって先の見えない不安に苦しんでいる人に、この記事を読んで少しでも気持ちが楽になってくれたら嬉しいです。