中学生時代、私は体毛が人並みよりも濃いことから笑われ者でした。
当時、仲良くしてくれる友達はいましたが、私がまだ声変わりも体毛が濃くなり始めてもいない男子からさげすまれるときはいつも一人の時を狙われていました。当時のあだ名は「毛ガニ」や「毛虫」といった見た目で判断される名前で呼ばれていました。
田舎の中学校でクラスは3クラスほどしかなく、ほぼみんなが顔見知りで、私に心もとない声をかけてくる男子や、裏で「お手入れしてない」と噂をする女子がいる環境はとてもひどかったです。
一緒の小学校から半分は進学していた地元の中学校でした。体毛が濃いことについて自分でも気にはなっていたものの、体のお手入れは「高校デビューと同時に始めよう」と思っていました。
ですが、陰口が次第に大きくなり、私は耐えきれずに中3の春、不登校になりました。
高校へ入学し、体のお手入れをするようになり、中学からの知り合いは誰もいない環境で新しい生活をはじめられたものの、不登校の癖はぬけきれず休みがちな高校生活を送っていました。
次の日が急に不安になってしまい夜寝られない、寝られなければ次の日起きれないかもしれない、不安に不安が重なり、学校に行きたいのに体力がない状態でした。
朝はどれだけうるさい目覚まし時計をセットしようとも、親に布団をはがされようとも、ベッドの上から丸まって動けない状態でした。眠気がはっきりしない、半分夢の中の状態の感覚で、意識がはっきりし始めるのは毎日お昼近い時間でした。
なんとか担任や教科担当の先生方の協力もあり、単位を取ることができて卒業し、大学も付属高校だったので苦なく入学できました。
夢の大学生活でしたが、それも半年で終わりました。行かなければ行かなければと思うほど体は動きませんでした。情緒不安定で、友達に夜中電話して泣きながら訳も分からない不安を伝えて心配をかけたこともありました。
もう大学にも通えない、と思った私は親にそのことを相談して退学届を出し、少しのバイトと毎週の心療内科へ通うことになりました。病院では「うつ病」と「睡眠障害」と診断されました。
ショックもありましたが、「中学という思春期の出来事は心に深く残る」という先生からの言葉を受け、原因であろう出来事が断定できたことでほっとした気持ちになったのを今でも覚えています。
それからバイトでも体調が安定してきたのを機に、物流企業の事務員として働くようになりました。しかし、環境の変化で睡眠障害が再発してしまい、休職そして退職することとなりました。わずか半年間の安定した生活でした。仕事に行こうといつも通りに目覚ましをかけても、その音がいつも以上にうるさく聞こえて布団をかぶってしまう。
家の前を通る車の音や子供の声でさえうるさく聞こえるほどの聴覚過敏と、事務所にかかってくる電話の音が幻聴として現れ、食欲も不振になり、でも食事をとり始めると普段の倍は食べてしまう。少し外に出たいと思えどお金がないので出かけられない、それもまた心に負担になる。
悪循環の繰り返しでした。
現在も療養の日々を続けています。仕事の負担で病状が悪化してしまったために、病院も心療内科からカウンセリングも受けていただけるクリニックへと異動しました。睡眠も安定はせずに薬を飲まないと眠れない日も多々あります。
私の体調に自分自身が一番嫌悪してしまいますが、それを見守ってくれる両親もそれを補おうと将来を考えてお付き合いをしてくれている方もいます。まだまだ療養期間は長く続くように思いますが、身近な人と相談しながら解決していこうと前向きになれたのは一つの進歩だと思っています。