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うつ病の体験談【失恋と鬱】

失恋は突然やってきました。相手の親が私達の交際に反対していました。

私は彼女に私の勤め先の練馬区に引っ越させ駆け落ちを提案していました。

しかし、彼女の母親の支配力から彼女は抜け出せず、「私は今まで世話になった母親を裏切れない」と言い残して固く門扉を閉じてしまいました。

私は慌てて彼女の家に行きましたが開けてもらえませんでした。

その後、私は家で頭痛に悩まされ何度も吐きました。

翌日CTスキャンしましたが、何も異常は無いとのことでした。

これが、鬱の前兆だとはまだその時は気が付いていませんでした。

翌日は耳たぶが真っ赤に腫れて、熱もないのに風邪を引いたような状態でした。

夜も眠ることが出来ず、足の裏から大汗をかいて眠ることが出来なくなりました。それが一週間続いたのです。

さすがに私も精神病ではないかと疑うようになり精神科医に症状を話しました。

毎食後の薬と睡眠薬を渡されてようやく寝ることが出来ました。

しかし、悪夢ばかり見て寝汗でびっしょりでした。朝はだるさが残り、会社に行くのさえ億劫になりました。

失恋直後の状態が2~3年も続き、自殺したいという願望に駆られていました。

家族もうつ病は気の病だから、昇進試験を受けて合格すればまた元気になると言って、薬を使わずに鬱を治すという本を買ってきては読めと強要し、一切休むことを認めてくれませんでした。

病院を転院した際、アンケートに最悪であると書いたところ、とても強い薬を出されました。

私はフラフラになり、福祉職場で薬を無くしてしまいました。

利用している人が飲んでしまったら大変だと施設を揺るがす大騒動になりました。

さすがに限界だと思い、チームリーダーの女性に話をしました。

その女性は以前、鬱を発症したことがあり、私を再び精神科医に診てもらうよう終業後に病院に連れて行ってくれました。

そこで先生から薬が無いと辛いですね、よく頑張りましたね。と言われて職場に近い精神科クリニックを紹介してもらえました。

2週間ごとに医師に診てもらい、徐々に旅行にも行けるようになりました。

しかし、父親は私を再び昇進試験を受けさせようとしていました。

実家では治療は難しいと感じるようになり、アパートを借りて引っ越すことにしました。

その時、父親は引っ越すことが気に食わなくて私に殴りかかってきました。

頭を何針か縫いましたが、これで会う事もなくていいだろうと思い、正々堂々出ていきました。

その後も福祉職場での仕事は過酷でしたが、利用者さんの笑顔が見れるので勤務先を変えること無く働いていました。

しかし区議会では、施設にかかる費用が利用者さん一人当たり年間600万円かかることが問題視され、私は事務職に回されることになりました。

仕事はほとんどもらえず、精神障害者への偏見を肌で実感しました。

私は体調を崩してしまい、再び休職し、休職期間を2年間取ることにしました。

その間、カバーヌと言う精神障害者B型の施設で2年間ボランティアをして休職期間を過ごしていました。

その後人事から私にできる仕事がないと告げられ、退職金をわずかばかりもらって退職しました。

同時にカバーヌに再度訓練生として就労しました。

古本市に出す本をまとめてひもで縛る係を行いました。仲間も多く出来て幸せな日々が2年続きました。

時々寝込むことがありましたが、次の日は必ず出勤して、なるべく出勤するように心がけました。

その時、精神障害者A型作業所くじらから職場見学に来てみないかとお誘いがありました。

今はFBAというアマゾンに商品を出す会社の商品をパッキングしてAmazonバーコードを貼ってアマゾン倉庫に送る仕事をしています。

今は幸せです。