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うつ病の体験談【産後うつの怖さ】

20年前、息子を出産し退院しました。

息子の出産までは、切迫流産で4ヶ月間安静入院していたので、あまりに現実感がなく、気持ちがついていきませんでした。

赤ちゃんは可愛いのです。ですが、4時間置きの授乳、夜中の泣き声で神経がたかぶり、帰宅後1週間で眠れなくなりました。

当時、夫は待望の第一子誕生で浮かれていたのか、私の不眠をあまり心配していませんでした。

更に、産後の手伝いに、義母が来ていました。

ありがたかったのですが、義母は家事も育児も、立ち居振る舞いからして素早く、私はそのスピードにも追い立てられ、急かされている気がして、追い詰められていきました。

「眠れないんです」と訴えても「人間、寝なきゃ死んでしまうのよ。少しは寝てるのよ」とたしなめられました。

夫も同調して、身体の動きが鈍い私を「やる気がないから.できないんだよ」と責めました。

常に不眠で頭がもわっとして、心身が動かず、気力が出ません。

1ヶ月たたないうちに、希死念慮が出てきました。

死ぬにはどうしたらいいか、冴えない頭で考え、小さなバッグを持って玄関に立ちました。

「おいおい、どこ行くの?」驚く夫にぽつりと「樹海ってどうやって行くんだっけ?」つぶやきました。

そこでやっと夫は私の様子がおかしい、と実感したのかネットで近辺の診療内科や精神科を探し、街のクリニックに連れて行かれました。

不眠が2週間以上続いており希死念慮が頭から離れない、現在ならすぐにうつ病を疑う症状だったはずです。

しかし3つのクリニックをまわりましたが、診断は「神経症」。当時、抗うつ剤は処方されませんでした。

また、日常が続きます。

私は常に死ぬ方法を考え続けながら、赤ちゃんにミルクを飲ませる、オムツを替える、泣いたら抱っこ、それ以外の時間は、落ち着かずにうろうろと狭い部屋の中を歩き回りました。

産後1ヶ月、希死念慮が出てきた頃から、私は不安にかられるようになりました。

生後8ヶ月頃から離乳食を作らなければならないのですが、自分が当時何かを選択することが出来なくなっているので、離乳食が作れないイコール赤ちゃんが死ぬ、そんな不安が絶え間なく襲いました。

夫は、希死念慮ばかり唱える私にうんざりしているようでした。

離乳食の心配を伝えても、呆れるばかりで投げやりになったり、私に怒鳴りつけて叱りました。地獄のような日々でした。

刻々と時はたち、いよいよ生後8ヶ月が近づいてきました。

私はある日思いたって家を出ました。

夕方で、赤ちゃんに最後のミルクを与え、眠ってから出たかったのに、なかなか眠らず、ひどい母親ですが、泣き叫ぶ息子を後に家を出ました。

どこへ行けば死ねるだろう。

とりあえず駅に向かいました。

実家のマンションから飛び降りようか。

新幹線に乗るつもりでホームにたち、やはり夫の近くで死のうと思い、新幹線の前に飛び降りました。

あとから聞いたところ、新幹線は私のすぐ手前で急停止したそうです。

それからは、鉄道警察官に自宅に連れられ、夫が泣いていました。赤ちゃんも、私を見て泣き止みました。

私は頭がボーッとして、事態がよくわかりませんでした。

翌日、私は精神科の専門病院に入院し結果的に治療の途中で双極性2型障害になりました。

それでも約4ヶ月で退院し、やっと息子を心から可愛いと思えるようになりました。

それまでは、感情がわかず、可愛いとも可愛くないとも思えなかったのです。

双極性障害とは今日までうまく付き合いながら、日常生活を送れています。

息子も大学生になりました。

あの地獄の日々は、本当に言葉にできない辛い日々でした。

今、あのとき死なずに本当に良かったと思います。うつ病の恐ろしさは、みなさんにわかってほしいです。