これは私が22歳の頃の話です。
2年間同棲した彼氏と別れて一人暮らしを始め、両親が離婚、祖父の癌宣告による家庭崩壊、仕事での強いプレッシャー、全てが重なり私は押しつぶされそうでした。
ですが今思えば、押しつぶされそうな事にすらその当時は気づかなかったのです。
『強く生きなきゃ』それが当時の私の思考に根付いていたのです。
異変に気付いたのはある日電車に乗っていた時の事、急に吐き気ととてつもない不安感に襲われました。
電車の中では吐いちゃいけない、でも気持ち悪い、どうしよう、吐き気と不安からパニックになりながらも降車駅まで耐えトイレへ駆け込みました。
しかし、元々吐く事に対して恐怖心が強く嘔吐恐怖症だった私は吐けなかったのです。
それから地獄の始まりでした。
体調の悪い日が続き、常に吐き気との戦い、1秒前までは体調が良くても1秒後には吐き気が襲ってくる、そんな日々の始まりでした。
そして水商売をしていた私はお客様と食事に行くのも仕事、どんな時も笑顔で明るく楽しくなければいけない、それは当時の私には辛く過酷な日々でした。
食べたくもないのに食事に行き、食べない事はせっかく連れて行っていただいたお客様に対して失礼に値すると思い、何度も何度もトイレに駆け込みながら食事をしていました。
接客中に吐き気が襲ってきて裏にこもって気持ちを立て直しまた戻って吐き気を隠して笑顔を作っての繰り返し、ほとんど仕事にはなっていませんでした。
何もないのに涙がでてきて止まらない、もう私の精神はズタボロです。
唯一の拠り所は別れた元彼でした。まだ好きと言ってくれる彼、戻っても同じ事の繰り返しなのに突き放せない弱い自分がいました。
全てを話してはいなかったものの、体調の悪い私を気遣ってくれ言わなくてもわかってくれているだろうと私の中で甘えがありました。
ある日彼が私の仕事前に一緒に食事をしようと誘ってきた日の事、その日少し気持ち悪くあまり体調は良くなかったのですが行く事に決めました。
ですが車に乗った途端、いつもの吐き気に襲われ私はパニック状態に。
その時彼から発せられたのは『めっちゃ気使うわ』の一言。
その時の私を壊すのには十分すぎる言葉でした。
もう何もいらない、何も信用しない、誰も助けてくれない、私の頭の中には何の希望もありません。
ですが不思議と死ぬ事はどうしても選べなかったのです。
最後の頼みの綱、心療内科へ行き薬をもう事に決めました。
処方される薬が身体に良くない事はわかっていましたし、飲みたくはありませんでした。
ですがいつ来るかわからない吐き気を抱えながら、それでも生きていくために働かなくてはいけない、仕事にいかなければいけない。
私にはもうそれしか手段はなかったのです。
それから1年半ほど通院し薬を飲みながらの生活でした。
5年経った今、病院に通う事もなく、薬も飲まない生活を送れています。
今思い出してもこの経験が過酷で今まで行きた中でも辛い経験と思います。今でも気を病んだりする事はよくあります。
ですがこの経験があったからこそ生きる事の素晴らしさ、食べれる事の素晴らしさを学んだように思います。
今うつ病により苦しんでいる方、辛い方に少しでもの希望になればと思い投稿させていただきました。
読んでいただきありがとうございました。