うつ病・抗うつ薬の体験談を500件以上公開しています

うつ病の体験談【産後うつを乗り越えて】

私は20年前、産後うつになりました。産後帰宅して1週間もたたないうちに。

出産まで約4ヶ月間、切迫流産のため安静入院していたことが、元々心身にダメージを与えていました。

寝たきりだったので、あちこち筋肉痛。歩くだけで筋肉痛なのです。

それと私は元々寝つきが悪く、神経質なところがあり、赤ちゃんの泣き声が神経を逆なでする感じで、なかなか眠ることができませんでした。

1週間もするうちに不眠が続き、身体が重くなり頭がもわっとしてきました。どんどん身体が重くなり、動けなくなります。

それでも、約4時間おきの授乳は欠かせません。

気分が昂って眠れない日々が続き、1ヶ月たたないうちに希死念慮が湧いてきました。

日がな一日、死ぬにはどうすればよいか考えていました。というか、頭から離れないのです。

夫は最初、私の不眠をあまり心配しておらず、希死念慮のことは伝えていませんでした。

しかし、ある日私が「樹海に行くにはどうすればいいのかな」と玄関に立ちつくしているのを見て、ようやくことの重大さに気づいたみたいです。

ネットで調べて近所のクリニックへ。

不眠が2週間続き、希死念慮もあるのに、3軒まわったのですがうつ病の診断がくだらず、当時抗うつ剤は飲んでいなかったようです。

今の医療なら、間違いなくうつ病の診断が出そうなのに そのときの診断は神経症でした。

それからも、日々辛かったです。

赤ちゃんの授乳、オムツ交換、あやしたり抱っこしたりをする以外の時間は、そわそわと落ち着かずに、焦燥感というのでしょうか、狭い部屋の中をぐるぐる歩きながら、死ぬ方法を考えていました。

国道を突っ走り、土手に落ちる、とか踏み切りを赤信号で渡るとか。

実際、夜中、夫が寝ている間に道路沿いを歩き、何度も飛び込もうとしましたが、できませんでした。

近くのアパートから落ちようとしましたが、確実に死ねる気がせず、やめました。

焦土を歩くようなジリジリした熱い地獄にいるような日々。

もうひとつ、私をおそろしくしていた不安が、離乳食です。

うつの症状で選択するのが難しくなっていたので、離乳食を作ることができない。何を作るか決められない。

離乳食ができないと赤ちゃんが死んでしまう、その不安が恐怖となり、私を襲っていました。

いよいよ、生後8ヶ月が近づいたある日、私は決行しました。

赤ちゃんを寝かした夕方、あてもなく家を出てなんとなく新幹線に飛び込もう、と思いました。

ホームから、新幹線が駅に入り込むところを飛び込みました。

私のわずか手前で新幹線は止まりました。鉄道警察官に自宅に連れられ、帰宅しました。夫は泣いていました。

翌日、精神科の専門病院に行き、入院。

死んだように数日眠りました。

病院では、すぐにうつ病と診断され、抗うつ剤がすぐに効いてきました。

入院中は沢山の精神病患者さんと一緒の閉鎖病棟でした。

統合失調症や、うつ病の人は病名がわかりましたが、涙が止まらない人、突然怒り出す人、発育不全の人たちは、病名がわかりませんでした。感想としては、みな優しい人たちでした。

うつ病の治療から1ヶ月たった頃、なんと私は躁転し、双極性2型障害になってしまいました。

それでも、4ヶ月ほどで退院し、無事帰宅。

症状のせいで感情がわかず赤ちゃんを可愛いとも可愛くないとも思えなかった私か、ようやく息子を愛しくてたまらず、自然に笑いかけることができるようになりました。

あのとき、死なずにすんで良かったです。

あの苦しみを乗り越えて、今も家族3人幸せに暮らしています。

あの苦しみがあったからこそ平凡な日常が幸せに感じられるのかもしれません。