私がうつ病を発症したのには、明確な理由がありました。もちろん、当時は全く気付かずにいたのですが。
うつ病は、なんとなくやる気が出ない、ぼーっとするなど、軽い症状だと、無理にでも動くことができる病気です。しかし、黒いトンネルに入ったかのような重い症状になると、また別です。私はこれを「発作」と呼んでいます。
人は大抵いつも、心身の好不調を感じながら生きているものです。ですから、身体から悲鳴が聞こえても、乗り越えられると信じていますし、見て見ぬふりをすることだってできるのです。それが日常ですから。
「発作」は、見て見ぬふりをされ続けた身体からの、最後の悲鳴です。誰だって無視できないほどの強さで声を上げてきます。時間にして2時間ほどでしょうか。黒いトンネルが頭の前から後にかけてでき、真っ暗な穴に物凄い力で引き込んでいきます。
頭の中が絶望と死でいっぱいになり、身体中が黒い渦に支配されてしまいます。私は今も、この症状だけは出したくないと、強く願って生きています。それほどうつ病の中で最も苦しいのが、この「発作」でした。
では、私のうつ病の原因は一体何だったのでしょうか。それは、自分の心の声をひたすら無視してきたからにほかなりません。自分は何がしたいのか、何がしたくないのか、自分には何が向いているのか、何が向いていないのか。誰かのしたいことではなく、誰かの望むことではなく。今思えば、当時の私は私の人生ではなく、誰か他の人の人生をただ何となく生きていただけだったのです。
私は学校が嫌いでした。でも、優等生でもありたかったのです。自分の好きなことをしたかった、本当は誰だってそうです。でも、親の望む姿でもありたかったのです。
どちらも両方選ぶことができればいいのですが、残念ながらその二つは共存するものではありませんでした。だから私は、周りの望むほうを選んできました。その一瞬一瞬を切り取れば、周りの人の喜びが自分の喜びにもつながっていたのは確かです。
目の前の人の顔から怒りが消えれば、私の心には平穏が訪れていましたから。けれど、その一瞬の心の平穏のために、長い人生を犠牲にしていました。これが私の「発作」の大きな理由です。
誰かの望む人生を生きたって、「発作」から自分を救えるのは自分しかいません。誰も助けてはくれないのです。自分で自分を頼る、頼れる自分を作ることが人生の目的だと教えてくれたのは、うつ病です。