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うつ病の体験談【うつ病の怖さはならなければ分からない】

専門学校を卒業し、仕事が決まり就職を機に地元を離れてからちょっと経った時の事です。その頃の実家は荒れていました。今思えば離れる前からすでに荒れていたのかもしれません。

父と母と姉と私の4人家族です。父と母は私たち子どもが物心つく前から喧嘩が多く、仲が悪かったです。子供の私たちにもきつく当たり散らすのは日常茶飯事のことでした。毎日顔色を伺い、機嫌を損ねないようにすることに徹していた幼少期でした。

その異常な家庭環境に気づいたのは、丁度私が就職で実家を離れたばかりの頃でした。姉は公務員の試験を受け合格が決まり、その準備を進めていた矢先のことでした。

「辞める、いかない」と泣きながら訴え、親に就職内定の取りやめを話してきたのです。
親は「大学まで行ったのに、なぜ今になっていうのか」と大激怒でお互い感情が抑えきれない様子でした。

ですが、姉は今までとは違っていました。これまでのことはやりたくてやってきたんじゃない。公務員もなりたいわけじゃないと言い驚きました。

親は娘に給料の安定した公務員になったほうがいいと期待を背負わせていて、姉もそれが私の果たす義務だと思い、疑問に思わず懸命に突き進んできたのだと思います。

そんな中で本当に無理だという現実が自分に向かってきたのだと思います。その前後から、姉は精神的に参って何もできない状態でした。精神科に通い鬱病だと診断されました。

衝撃でした。今まで見てきた姉は、親が作り上げた偽物の姉でしかなかったのです。姉が親からの要求を飲まなければ生きていけないほど追い詰められていることに気が付くことができませんでした。現在は違う仕事が見つかり今は無事仕事をしています。

一方で、私は家から離れたことで家族と距離を取りつつも、家の事情に関しては何も解決できていないことに腹立たしさを覚えつつ、一人暮らしと新社会人としての生活に追われる日々を過ごしていました。

仕事も安定してきた頃、勤務時間が長時間に渡り、その上立ち仕事が基本でした。終わったら家に帰って寝るだけの生活をしていて、休みの日も家で寝ているだけの日々でした。

これでいいのかと思うのに体は言うことを聞かない。遊びたいのに、友達と会いたいのに、すべて実行に移すとなると億劫になってしまう、以前とは違う体の変化がありました。

死にたい」そう思いながらも仕事に行き、帰ってきては何のために生きているのか本当にわからなくなりました。親も姉妹も当てにできない、自分がしっかりしなくてはという気持ちがそうさせていたんだと思います。

家から出ることも人と会話することも家の汚さもすべて嫌で、でもどうすることもできなくて、一人孤独でした。

鬱について調べてみたら私の症状は少し当てはまるだけだったので、甘えなのかと決めつけて、ただ呼吸するだけのような感覚でいる生活を送っていました。ですが、日によって元気な日もあり、その時にでもとにかく病院に行ってみようと決心しました。

結果は軽度のうつ病でした。病院では優しい先生が私の話を真剣に優しく受け止めてくださり、涙が勝手に出てきて止まらなかったです。

親も発達障害のグレーゾーンで、家庭環境のせいとも思えるので根本的に無くすことは難しいかもしれません。ですが、今は自分がどうすれば生きやすいのか、疲れないのか、ストレスが溜まらないのかが把握できており、以前のような気分の落ち込みは減っています。

鬱病になる前にしっかり自分で自分を守るための方法を身に着けることが大切です。家族以外にも頼れる人がいると非常に軽減されると思います。

鬱病なんてと軽く言う人が多い日本ですが、目に見てわからないからこそ、誰もが気が付きにくいものなので危険だと思います。

鬱病は病気です。正しく治療して良い健康を手にすることが一番の幸せだと思います。