うつ病・抗うつ薬の体験談を500件以上公開しています

うつ病の体験談【元夫の鬱と向き合った話】

はじめに

皆さんは自分の配偶者が鬱になったらどうしますか?勿論支えようとする人が大半でしょう。でも、共倒れになってしまったら?「病める時もすこやかなる時も…」と誓った手前、一緒に乗り越えようとしないことに罪悪感を持つことでしょうし、勿論夫婦なのだから支えることは大切です。

でも、あなたにはあなたの人生があります。あなたまで病気になってしまうくらいなら「離れる」という選択肢もあっていいと思うのです。

今回は、私が元夫の鬱とどう向き合ったかについてお話しします。

鬱になりやすい性格

「鬱は誰でもなり得る病気」と言われています。勿論、それは否定しません。ただし、「鬱になりやすい性格」というのも存在するのではないかと私は思います。私の元夫はまさにこのタイプでした。今、パートナーの鬱に悩んでいる人の中にも思い当たる節があるかもしれません。

ただしこれはあくまでも私の見解です。

真面目すぎる

とにかく手を抜くことができません。「もうそれくらいでいいんじゃない?」と言ってもやらなくていいことにまで手をつけ、その結果神経をすり減らします。

人に尽くし、見返りを求める

一見、奉仕的でいい人のようですが「俺がこんなに尽くしているのに誰も感謝してくれない」

「あの時あんなに尽くしたのに俺にはしてくれない」などが多いです。

人の目や評価をいちいち気にする

自分の望み通りに動かず「これをやったら周りに変に思われる」「噂される」「これをやったら認められる」など他人軸で行動します。

人に依存する

「俺と仕事どっちが大事なの?」「俺の面倒看てよ」とパートナーに言う、物事を決める時にいちいち親に相談するなど、何かにつけて人を頼りたがります。

自己否定が強い

よく言えば謙遜ですが、「俺なんかどうせ」がとにかく多く、自信のなさといじけが見て伺えます。

 

私の元夫が鬱を発症したのは結婚してからでしたが、今思えば付き合っている時からガラスのように脆い面は沢山ありました。

私と付き合う前に市販されている睡眠導入剤を飲んでいたそうですが私と付き合ったことで飲まなくてもよくなったと言っていたことがありました。

また、とにかく思い詰めてすぐ泣いたり、ストレスを溜め込んである日突然キレたり、ということが度々ありました。

でも、恋は盲目で私は気づかなかったんですよね。「結婚して家族を守る責任というものができれば変わるだろう」と相手に期待していました。この話と趣旨がずれますが、結婚する前に相手の「あれ?」と思う部分を直視することは大切です。

鬱の元夫とどのように向き合ったか

鬱になるきっかけも、症状が悪化したり回復したりするスピードも患者さんそれぞれですが、元夫の場合はもともと情緒不安定だったものが仕事や夫婦仲のストレスでだんだん悪くなっていくという感じでした。

ここからは、元夫の病状の進行と私がどのように対処したか、また私がどのように感じていたかについてお話したいと思います。

最初は「ちょっと疲れてるね」と言われる程度だった

元夫が本格的に病院に通い始めたのは2016年の春のことでした。職場のメンタルヘルス検査で「要受診」と言われましたが、その時は一度受診した後に休養を取らせる目的で自宅療養していました。

私は、元夫に出来るだけ負担をかけないようにと育児や家事をすべて自分でやっていました。そんな日々に自分自身が疲弊していくのを感じていました。でも、「長くは続かない」と言い聞かせて頑張ってなんとか家事・育児・仕事をこなしていました。

医者選びは大切

最初に通った病院は職場と自宅から近い古いクリニックでした。もともとは産婦人科だったそうですが、「心と体はつながっている」というコンセプトのもと、身体のあらゆる症状だけでなく心も看てくれるところで、おばあちゃん先生が診察していました。優しくて癒される先生でしたが、広く浅く看ている感じで治療の決定打に欠ける感じがしました。

私は転院を勧めましたが、本人は頑なに拒みました。おばあちゃん先生のやさしさが心地よかったのでしょう。また、自分の病気を直視したくなかったのでしょう。でも、一緒に暮らしている私からしてみると、元夫の病状は明らかに日に日に悪くなっていました。そこで、元義母の手も借りて半ば無理矢理転院させました。

次に行った病院の先生もソリが合いませんでした。元夫はすでに、目も虚ろで、会話も成り立たず、一人にしておくのが心配なほどになっていました。その時は有給休暇を使って休んでいたので、元義母にお願いして実家で面倒を診てもらい、診察がある日は私と元義母で付き添うという形をとっていました。

元夫があんな状況だったのに、その先生はこう言いました。

「来週の診察までに入院しなきゃいけない理由を考えてきて下さい。」

こんなことが2回続きました。1度目は元義母だけが付き添った時、2度目は私もいた時でした。私は目の前でそれを言った先生に苛立ち、思わず声を荒げました。

「先生、私や義理の母じゃ手に負えないから入院させて欲しいと言っているんですよ!このままじゃ私も義理の母も倒れます。もう会話も成り立たないんですよ。お願いですから入院できる病院に紹介状を書いて下さい!」

先生は私の押しに負けたのか、渋々承知してくれました。

「じゃあ大学病院に紹介状書きますけどね、病棟混んでるからいつから入院できるかわかりませんよ」

とかなんとかぶつぶつ言いながら。

ここで私が思ったのは、医者の言うことをただ聞くのではなく、自分の気持ちや困っていることは少々押しが強いくらいに伝えて丁度良いということです。患者を支えるのは家族です。共倒れしないようにすることがとても大切です。家族だからと言って鬱の人一人に人生をささげることはありません。自分の人生を生きて欲しいです。

入院

そんなこんなで次の日には大学病院の精神科外来に行きました。待合室の椅子はそこそこ混んでいて、元夫と元義父母は前の方に、私は離れて後ろの方に座りました。元夫は、色々思うことがあったのでしょう。時折私の方を振り返っては私を睨みつけました。「俺を無理矢理入院させようとしやがって。嫁のくせに支えねえのかよ」とまあ、こんな感じでしょうか。

診察室にはみんなで入りました。30代後半くらいの爽やかな男の先生でした。一通り本人を診察し、私や義父母から話を聞くと、先生はこう言いました。

「よし、じゃあ今日から入院しましょう。」

私はその言葉にどれだけ安堵したかわかりません。「これでお義父さんとお義母さんも休める。私も安心できる。彼も治療に専念できる」物事が一気に良い方向に向かったように感じました。

その日の夜、元夫からLINEが入りました。

「色々ごめん。俺やっぱり入院して正解だった。ありがとう。」

文面を見て大泣きしました。ようやく彼が自分の病気と向き合える、そう思いました。

入院生活

元夫の入院中は、仕事や家事・育児の合間を縫ってだいたい2日おきくらいのペースで病院に通いました。洗濯物を持ち帰ったり、彼に差し入れをしたりするためでしたが、彼にとっての一番の薬はまだ小さかった息子の存在だったように思います。

子供のパワーってすごいですよ。夫婦どちらかがこういう状況になった時、二人だと向き合うのがしんどくなってしまうことがありますが、子供はいてくれるだけで空気を和らげてくれるのです。

入院中の診察には私や元義両親が付き添うことがありました。また、私や元義両親だけが呼ばれることもありました。

この時大切だなと思ったのは、最優先にすべきは患者本人の気持ちです。家族なら状況をすべて知っておきたいと望むところですが、患者本人が家族が同席していることで話しづらいのならたとえ配偶者であっても席を外す潔さが大切です。

私は実際そうしていました。患者本人の気持ちや状況は後で先生がちゃんと伝えてくれますから。「夫婦なんだからちゃんと自分の言葉で伝えてよ」はこの場合は通用しません。

また、一番大切なことは、こんな時だからこそ自分の時間を持つことを忘れないでください。ほんの少しの時間でもいいので、自分の好きなことをする時間を作って下さい。

私は土曜日に子供を保育園に短時間だけ預けて一人でカフェに行ったり、平日休みをとってファッションビルで買い物を楽しんだり、子供を連れて思い切って旅行に行ったりしていました。

大袈裟ですが、こういう時間の積み重ねが私自身の命をつないでくれていました。私は元夫が鬱になってから「死にたい」と思うことがありました。この、少しの時間が私のガス抜きだったのです。

実家療養と離婚

実は私は、元夫が鬱の診断を受ける前から離婚を考えていました。行動的で気が強い私と違って彼はあまりにもマイナス思考で落ち込みやすく、私が「生きていればなんとでもなる」という思考だったのに対し、「もうだめだ」「俺には無理だ」「うまくいかないに決まっている」ととにかくネガティブ発言のオンパレード。これから一生この人と一緒に居なければならないと思うと、人生が絶望的でした。

ことあるごとにぶつかり合う私と元夫を見て、元義両親は

「お前はいい加減本腰入れて病気を治せ。あと、こんな状態がいつまでも続くなら離婚してもいいんだよ」

と言ってくれましたし、周りの人も

「あなたは旦那さんを産んだわけじゃないんだからそこまで責任を負う必要ない」

と言ってくれました。

極めつけは、元夫の担当医の言葉でした。

「彼が本当に元気になるには今の仕事を辞めることと離婚が一番ですね」

この一言に背中を押され、私は離婚に向けて動き出しました。彼の病気が治ることに歯止めをかけていることの一つが「自分が病気でいれば嫁はずっと面倒を見てくれる」という気持ちだったそうです。私という存在がいなくなることで後戻りできない状況を作ることができるとのことでした。

元夫は秋に退院し、そのまましばらく実家療養をすることになりました。これは私からの希望です。自分の決心が揺らぐのが怖かったので。それに、気が強い私がいたらせっかく病気がよくなったのに彼の精神的負担になるような気がしたので。こういう病気の人は、いかに自分が心地よい状況にいられるかで回復の度合いが違ってきます。

私はその間、とにかく行動し続けました。私は言い出したら聞かないし、行動も早いので彼は渋々離婚に応じてくれました。ただ、見るからに病状は回復し、会話がちゃんと成り立つようになっていました。

そして、元義両親が証人欄にサインを書いてくれて、私達は二人で離婚届けを提出しに行きました。

ここまで読んで、私を酷い女だと思う人も沢山いるでしょう。この状況で離婚した罪悪感はきっと私が一生背負っていかなければならないことだと思っています。

でもそれと引き換えてでも私は自分らしく自分の人生を生きたかったのです。夫婦は支え合うことは必要だけど、向いている方向が違ったりその人がいることで自分が幸せでいられないと感じたりするのなら別れるという選択をすることも良いと思うのです。

鬱の配偶者への接し方のポイント

この一連の出来事の中で、私なりに学習した配偶者が鬱になってしまった場合の接し方をまとめてみたいと思います。

〇客観的に見て医者が合わないと思ったら潔く変える

〇周りの人に負担がかかりすぎるのなら思い切って入院させたい旨を医者に伝える

〇一人で頑張らずに頼れる人はすべて頼る

〇自分自身に戻れる時間を持つ

〇治療や診察は患者主体で。あえて席を外す勇気を持つ

〇どうしてもダメなら別れるという選択肢もあり。お互いが自分の人生を生きられる選択を。

おわりに

いかがでしたでしょうか。これを読んだ人の中には「治るところまでどのように添い遂げたかを知りたい」と思う方もいることでしょう。

確かに、二人三脚で完治までたどり着いたのならそれはとても素晴らしいことで私にとっては尊敬に値することです。でも私が思う大切なことは、鬱を通してお互いを見つめなおし、お互いが自分の人生をより良く生きられることだと思うのです。

その答えが離婚だったとしてもそれはそれでいいのです。実際、元夫はあの頃よりはるかに元気になり、私と程よい距離感を持って子育てを協力しながら暮らしています。

配偶者はあなたの子供ではないのです。過度に責任を負い過ぎないで、あなたはあなたの人生を生きて下さい。あなたと配偶者がベストな療養生活を経て、より良い人生を歩んでいけますように。