母親がうつ病です。幼少期の私は、うつ病に関して大した知識もなく、ただ漠然と元気のないひと程度だと思っていました。
だから、まさか自分の母親がうつ病だとは夢にも思っていませんでした。
母親はとても怒りっぽいひとでした。
まだ私が小学生の時、母はいつも誰かの悪口を言っていました。
離婚した父親に対する恨みの言葉が主でしたが、時には私に対しても非常な暴言を吐いてくることもありました。
この時すでにうつ病に苦しんでいたように思います。
散々怒った挙句、母親は私の見えない所でひどく落ち込んだり、涙を流すこともあったそうです。
その現場を見なかった私にとって、母は恐ろしい存在でしかありませんでした。
うつ病になると不安感が襲ってきます。
不安な気持ちからそれを紛らわすように怒りに身を任せ、つい周りの人間を傷つけてしまうのです。
それを自分自身でコントロールできないのだから、やはりうつ病は脱出困難な心の病なのでしょう。
母は自分を落ち着かせるため、精神安定剤をよく飲んでいました。
タバコも吸っていました。
母曰く、タバコを吸っているときは余計なことを考えなくて済むから気が楽なのだそうです。
しかし、タバコが吸えなくなると反動からとてつもない負の感情が沸き上がってくると言っていました。
根本から病気と向き合わないかぎり、うつ病からは逃れられないと自分自身が思い知らされるのでした。
時が経ち私も社会人になりました。
母は年老いて、気づいたらタバコも辞めていました。
大人になった私は母を軽蔑し、心底恨みの念を抱いた母の子供でした。
大学に行かず、もちろん就職もしなかった私はアルバイトの日々。
アルバイト先ではいつも人間関係でトラブルを起こし、何度も職を変える人生を送っていました。
この時の私は、きっと誰も、むしろ自分自身でさえ信じることが出来なかったのです。
不安でした。
不安から怒りっぽくなり、多くのひとを傷つけ、すぐに自責の念に捕らわれます。
救いのない人生とは私が送っているような人生のことを指すのだろう、何もかもがネガティブに働いて地獄のような日々。
私は、うつ病になっていました。うつ病は伝染します。
母がうつ病だったように、私もこの世で一番憎い母親と同じになってしまったのです。
母親のすべてを否定していた私は絶望し、私は頭の中でいつも死を意識していました。
その時、うつ病というものをはっきりと認識した気がします。
私はそこからほんのちょっとだけ考えが変わり、久しぶりに母に話しかけてみました。
関係は悪いままですが、怒りの中で母は自分がうつ病にかかっていることや、子育てが大変だったことなどを恨みつららに言ってきます。
その全てが私にとっては知らない情報でしたが、まずは言いたいことを吐き出すのが最初の一歩なのかもしれません。