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うつ病の体験談【私のうつ病歴】

私は2005年に大学を卒業後、鉄板工場の事務職に配属になり実家を離れて一人暮らしを始めました。

今に始まったことではないのですが、対人関係が苦手で、仕事のミスや連絡のミスを引き起こしていました。

上司や先輩からは叱責され、後輩からは白い目で見られて確実に私の心は蝕まれていきました。

しかし当時20代だった私は、うつ病になり、薬無くしては暮らしていけなくなるとはこの時は思いもよりませんでした。

仕事と人間関係以外はうまくいっていたからです。

就職して4年後、株で大損してから仕事へのモチベーションが下がり、うつ病っぽく気持ちが沈んだ状態が出るようになりました。

2011年の東日本大震災の直後に、大学時代に仲の良かったニート状態の友人が、5月に家族とトラブルになり自殺したので葬儀に来てほしいと友人の親族から突然の訃報が入り、私はそれまで仕事の面で彼に励ましてもらっていただけにショックが大きく涙も枯れてあまり泣けませんでした。

それから心に穴が空いたような状態になり、地元の精神科を受診し適応障害と診断されました。

サインバルタともう1種類安定剤を飲む事になりました。

しかし状態はよくならず、気持ちが沈んだりする日々が続いて薬も何度も先生と相談して変えましたが良くなりませんでした。

2014年から2015年まで傷病手当金を受給して休職し2016年に復帰しました。

しかし、原因不明の吐き気で仕事に行けなくなり、このころから多額の借金をしながらパチンコなどのギャンブルにのめり込むようになり、私の人生は八方塞がりとなっていきました。

2017年10月、ついに12年勤めた会社を退職し、実家から通う工場の守衛の仕事に転職しました。

精神科も実家の市町村の心療内科に転院し、このころからバルプロ酸ジアゼパムロラゼパムブロチゾラムを処方されるようになりました。

2018年6月、過呼吸、呼吸困難、動悸が酷くなり救急搬送されるも異常なく、翌日心療内科でパニック障害との診断を受けました。

借金の返済は少しずつ家族の助けを借りながら進めてましたが、400万円もあり精神的にまいってしまったのだと思います。

この救急搬送をきっかけに家族からはより白い目で見られるようになりました。

そして2019年4月から主治医が変わり、セルトラリンロフラゼプエチルが追加となり、さらに体重の急激な増加でロスバスタチンが追加されました。

このころから口や喉の渇き、喉のイガイガによる大きな咳が止まらなくなり、家族から苦情が出るようになりました。

主治医には診察の都度に症状を訴え、様々な漢方薬や安定剤を処方してもらいました。

けれど喉のイガイガによる大きな咳は何度も主治医に相談してますが未だに良くなっていません。

口の渇きから水分摂取量も増加、頻尿になり便秘も併発しました。

今現在は夕食後と就寝前で合計13錠もの錠剤を服用する生活が続いています。

ギャンブルで作ってしまった借金の残りの債務もまだ250万あり、住宅ローンと金融機関への返済で休職は出来ないため薬を飲みながら職を転々としています。