私のいとこが小学生の時にうつ病になってしまいました。
彼女が小さい頃は、とっても可愛くてはきはきした普通の女の子でした。
どちらかというと、お父さんとお母さんの愛情をたっぷり受けて育った末っ子の甘えん坊という感じです。
歳の離れたお姉さんがいますが、関係もよく、いつも一緒に遊んで楽しそうでした。
とにかく家族全員とても仲が良く、毎年母方の実家にスキーに行ったり、夏は家族で旅行にいったり幸せな家族だったと思います。
しかし、ある時母親ががんになってしまい、気づいた時はすでに末期で、そこから家族の状況は一変してしまいました。
徐々に弱っていく母親のそばでどんなことを感じていたのか…
今思うと、まだ小学生でお母さんに甘えたい年ごろな分、たくさんの我慢を強いられていたんだと思います。
張り裂けそうな心を必死に隠していたんだと思います。
その時は気丈に明るくふるまっていましたので、周囲からは心の変化を感じるのは難しい状況でした。
それからしばらくしてお母さんは亡くなりました。
その時も涙一つ見せず、じっとまっすぐ前を見つめていました。
その時の表情はあまりにも不自然で、とても心配になったのを覚えています。
ある時とうとう心が張り裂けてしまいます。
お母さんのお葬式やその他の行事が済んで学校へ行き始めましたが、しばらく過ごしていた時に一人のクラスの男の子が、彼女にこう尋ねました。
「どうして自分のお母さんが亡くなったのにそうやって笑ってるの?」と。その日以来彼女は学校に行かなくなりました。
子供というのは時に残酷です。
相手がどんな思いでいるのか、普通に考えたら辛くて辛くて仕方ないに決まっているのに相手の内奥の気持ちなどくみ取ることはできないのです。
彼には悪気がなく、ただ純粋に疑問に思った言葉だったと思います。
彼を責めることももちろんできず、突然変わってしまったいとこに対して、私たち親族は心を痛めました。
父親はもっともっとつらかったと思います。愛する妻を亡くしただけでなく、子供がうつになってしまったのです。
それでも愛情深い父親は、あらゆる方法で娘のためにできることをしました、会社もリモートで仕事ができるように変え、子供のケアが出来るように努力していました。
彼の姉である私の母などもうつに関係する記事を集めたり、話を聞いてあげたり、できる事をしていたと思います。
その甲斐あって、中学生になると普通のクラスには行けませんでしたが、問題を抱えた子供たちの特別なクラスに参加できるようになりました。
そこは居心地が良かったようで毎日学校に行くことが出来ているようです。
今もたまに私たちの家族に会いに来てくれます。一緒にゲームをしたり、犬の散歩をしたり。でもどこか心に不安があるのかなと感じます。
お母さんが亡くなったとき、もし大声で泣けていたら、もし感情を吐露出来ていたら、今は違っていたのでしょうか。
あの時のことを振り返ると私たちも苦しい気持ちになります。少しずつ、時間と家族が彼女の心を癒してくれることを願っています。