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うつ病の体験談【うつという二文字だけでは断定できない多様な病】

私が初めてうつという言葉を知ったのはいつのことだったでしょうか。明確な記憶はありません。

田舎町に住んでいたので、心療内科もポピュラーではなく、とりあえず内科で精密検査をしたり、脳外科や内分泌科に回されたりするイメージでした。当時だと精神科に突然かかるのも勇気のいる行為だったと思います。

私自身、部活や受験勉強で忙しくしていた直後の燃え尽き症候群か心身の不調が目立つようになっていました。症状の自覚を持ったのは15歳の頃だと思います。

早朝から微熱や軽いめまい、登校しても教室では突然涙が出るなど、今までになかった症状が立て続けに起こり、毎日不安でいっぱいになっていました。

度々保健室に駆け込み、保健医からは気分変調症と言われていました。体調が思わしくなく、それが不安を掻き立てているのか、将来や家族のことに不安を抱いており、それが心身を不調にさせているのか。

どちらが原因か分からなくなっているうちに半年が過ぎ去り、何か没頭するものが見つかった後、その不調は消えて行きました。

24歳の秋、25歳の冬、と体調が悪くなり、その冬が終わる頃に、耳鼻科や脳外科に行き、特に身体に疾患はないとのことでした。血流が悪いことを指摘され、生活を見直すようになりました。

その春に近隣の心療内科に初めて受診。先生によっては、はっきりと対面でうつになっているかどうか告げない場合のあるのでしょうか。

パニックに近い状態になった時に対処するための頓服をもらい、初めてレキソタンを服用。薬については自分から調べないよう言われました。副作用と思われる症状が出たので、再診時にワイパックスに変更されました。

頓服のみで落ち着くことが大半だったので、定期的に予約を取り通院という通い方はしていませんでした。できることなら、自分の生活や環境改善でコントロールしたいと思っていたからです。そして今もその気持ちは変わりません。

その後、女医に担当をお願いしたかったため転院。テストやカウンセリングなどを細やかに実施、先生からは「抑うつ神経症」と診断されました。仕事は休職を取り、安静に過ごしました。

今でこそ、精神疾患については公表をして長期休暇を取ったり、知り合いや家族にカミングアウトして理解をしてもらったり、精神疾患の扱い方がライトになってきたので、20代半ばの頃は共通項のある知人を作り情報交換をしていました。

しかし、今では接点を持っていた精神疾患をもつ知人や友達との付き合いを切っています。なぜなら、精神疾患は同じ診断がされていても人によって症状の重さも薬の適合も違うものだと思っています。そこを比べることに負担を感じるようになりました。

治療の一環として、自分の軸を見つめる、時に軸がブレるようなことがあっても許す、自分の細やかな欲求や悲しみや怒りに寄り添う、自分を受け入れることを中心に寛解を目指し、よりよい人生にしていきたいと思っているからです。

今までにお付き合いをしていた恋人も、偶然にも、一人は統合失調症、一人は否定型うつを発症していましたが、残念ながらどちらの方も前向きに治療をしていくタイプではありませんでした。

そのため、精神疾患をもつもの同士の共生は難しいものだと感じています。ですが、たまたまお付き合いした方が、精神疾患を持っているということが連続していたため、こういった類の病は誰にでもなる可能性はある、ありふれた病なのだと痛感しました。

私自身は薬を手放せないほどの重みのある症状ではありませんが、いつ心身の不調が一気にくるか分からない不安が常につきまとっています。

他にやりたいことや実現したいことが沢山ありながらも、この不調をコントロールしながら生きることに出来る限り前向きになっていきたいと思っています。