それは突然ではなく、徐々に訪れていました。
ひとつは中学時代、祖母の自殺から暗い部屋で眠ることができなくなりました。次は20歳の時、妹を事故でなくしてから、朝方4時を回らないと眠れなくなってしまいました。暗闇を恐れ、妹が事故で亡くなったその時間を過ぎないと眠れなくなっていたのです。
そのような生活が、学校を卒業して仕事に就いてからも続いていたので、私にとっては普通の事のように受け止めていました。仕事も不規則なものでしたので、寝ずに仕事へ行くというのも当然の事で、当時は「睡眠障害」や「鬱」というものは、頭の片隅にもありませんでした。
そんな年月を過ごし、私は定時というものがある仕事へ転職しました。
仕事への責任感は元々強い方でしたが、脅迫されるかのように、より完璧を求めていました。持って帰れる資料は自宅へ持ち帰り、朝方まで勉強をし復習を繰り返し、通勤時も頭の中は仕事の内容のことばかりでした。
そんな中、みるみると体重が減っていることに自分では気づかず、同僚から「痩せた?」とよく言われるようになっていました。仕事へのプレッシャーでランチタイムは食欲はなかったように思いますが、帰宅後は普通に食べていたと思います。
私が完璧を求めすぎ、質問や指摘をしていたのが気に入らなかったのか、ひとりの上司が私にだけ冷たい態度をとるようになりました。それから私に、恐怖心が芽生え始めたのです。気にし過ぎかもしれないと言い聞かせても、顔を合わせることすら怖くなっていきました。
同僚からも「あの上司、貴方にだけ態度が酷くない?」と言われ、私が感じていた事と重なりました。そして、上司が私が提出した書類を汚いものを触るように受け取った途端、息ができなくなってしまいました。過呼吸発作です。
みるみる間に顔面から血の気がひき、全身が震え、硬直状態となり、救急車で運ばれる事態となりました。体重もその時30キロ台となっており、病院にて検査。様子を見る中、精神的なものではないか?との診断を受けました。その後、会社からは退社して休養することを命じらました。
その事で、「仕事を奪われた」「生活ができない」とパニック状態となり、泣き縋るように会社へ退社は嫌だと訴えましたが、勿論聞き入れてはくれません。この事がきっかけで、体や精神状態も悪化の道を辿りました。
食欲は全くないどころか、食べれるものが何もないのです。お米の匂いだけでも吐き気が出るようになり、ただ水だけを少し飲める程度。
早く仕事へ復帰しないといけないと、以前病院から促された「心療内科」へ受診し、そこで言い渡されたのが「鬱病」でした。同時に拒食症、睡眠障害も言い渡され、仕事はドクターストップ。抗うつ剤と抗不安剤、睡眠導入剤が処方され、鬱病との戦いとなりました。
医師も何ヶ月で治ると言ったことは言えない、数年単位となることもあるとの事で、状態は最悪なケースにまでなるのですが、私をこの病気から救うことになるのは「カウンセリング」でした。薬物療法とカウンセリング、チームとなってその後治療は進んでいくのですが、私の場合、社会復帰するまでには10年の月日が経っていました。
今でも通院と少量(当時と比べると)の薬が必要ですが、結婚もし、仕事にも復帰しております。