うつ病・抗うつ薬の体験談を500件以上公開しています

うつ病の体験談【あのママのあの言葉】

40代目前のとき、不妊治療の末に、結婚15年目に待望の男の子に恵まれました。

授かるまでの辛くて長い道のりを思うと、妊娠がわかったとき、また、その子が無事にお腹の中で育っているときは、とても嬉しくて、心から安らいだ気持ちになりました。

生まれた我が子は、もう、いとしくて、かわいくて。抱きしめて、大事に育てました。

あまり手のかからない育てやすい子でした。歩けるようになると、公園で遊んだり、児童館へ行ったりし、息子にも私にも友だちができ、幸せな楽しい毎日を過ごしていました。そして3歳になると、近くの幼稚園に入り、歩いて送り迎えをするようになりました。

ある日、息子と手をつないで帰っていると、数人のママと息子より一つ上の子たちのグループがいました。物怖じしない息子が、その輪の中へニコニコと笑顔で入って行きました。「私は、○○といいます。よろしくお願いします」と挨拶しました。

すると、その中の一人のママが、「お一人目?ベテランのママに見えるわね」とおっしゃるのです。3歳の息子を連れた私は、そのとき42歳。そう見えても仕方ないのですが、面と向かってはっきり言われると、やはりショックでした。

それからです。楽しかった子育てが、辛く苦しいものに変わってしまいました。

あんな年を取ったお母さんを持った子がかわいそう、気持ち悪い、と思われているのではないか。今まで仲良くしてくれていたママたちも、本当は私が嫌だったのではないか。

そんなことがずっと頭の中をぐるぐると回っていました。そして、何も手につかなくなりました。家事もままならず、食欲もなくなり、夜も眠れませんでした。

インターネットで高齢出産について調べると、ネガティブなことばかり見つかりました。年を取った母親が授業参観で恥ずかしかった、子どもが大人になったときに早く介護が始まる、一人っ子はかわいそうなど。

息子が生まれて嬉しさいっぱいで子育てをしてきたのが、息子がかわいそうでたまらなくなってしまいました。息子にひどいことをしてしまった、自分が子どもを欲しいという思いだけで不妊治療をしてしまったから、息子に苦労を背負わせてしまったと後悔しました。

そして、苦しさに耐えきれなくなり、このままでは息子にますます悪い影響を与えてしまうと思い、心療内科を受診しました。

心療内科はどこでも同じではありませんでした。一軒目は、私の話しをアシスタントの方に聞いてもらった後、先生にお会いすると、「あなたより高齢で赤ちゃんに恵まれなくてここに通っている人がいるのだから」と言って、高慢な態度で、「薬でも出しましょうか?」と言われました。悲しくて、涙が止まりませんでした。

二軒目の先生は、頭に赤いバンダナを巻いた風変わりな方で、口を尖らせて言い訳するような話し方をされ、自分に自身のないような印象を受けました。ここでは、一通り話を聞いてもらい、薬を処方してもらいました。

二週間くらい飲み続けた頃、ふっと気持ちが軽くなっているのを感じました。頭の中をぐるぐると回っていたネガティブなことを、自然に考えなくなっていたのです。よかった、これで治った、また楽しい生活に戻れた、と思いました。

月に一度通院し、薬を飲み続け、安定した状態が続いていましたが、ふとまた嫌な感情が出てきました。日に日にそれが多くなり、気づくと再び憂鬱な気分に支配されるようになり、四六時中、頭の中でぐるぐると嫌なことを考えていました。

そして、病院の先生にお話すると、「僕はお薬をちゃんと出しているんだ!それが効かないのはどうしてかわからない!」と怒りながら言われてしまい、怖くなってしまいました。2年ほど通ったここはもうだめだと思いました。唯一救われたのは、受付のふくよかな女性の方が、優しい笑顔で飴玉をくれたことでした。

三軒目は、現在通院している心療内科です。5年ほど、話を聞いてもらって、薬をだしてもらっています。穏やかで、しっかりと話しを聞いてくれて、否定的なことはおっしゃいません。薬は、飲み始めて3週間ほどで効いてきました。

効いてくるとつい、大丈夫と思うのと、いつまでも薬に頼ってはいけないとの思いから、通院をやめてしまい、また調子が悪くなります。そんなことの繰り返しで現在に至っています。

良くなっても、薬をやめると再び悪くなってしまうので、しっかり飲み続けようと思いますが、治ったと思うとやはり、病院へ行かなくなってしまうのです。今度こそは、大丈夫と思って。

執筆している今、2ヶ月通院をやめて、調子が悪くなっています。心が苦しい状態で、書いています。薬を再開して1週間経ったので、あと2週間くらいで効いてくると期待しています。

こんな苦しいことになってしまった、あのママさんのあの言葉。もし聞いていなかったら今頃はどう過ごしているのだろうと考えてしまいます。

スピリチュアルの本には、「起きたことに偶然はない。すべては必然だ」と書いてありました。それを繰り返し唱え、あの言葉は聞かなければならない言葉だったのだと、自分に言い聞かせています。