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うつ病の体験談【壮絶な華の女子高生】

「華の女子高生」「華のJK」「JKブランド」という言葉があるほど、偉大な自信に溢れる女子高校生時代。その中でも、入学から一年がたち受験生まで一年あり余裕も学校の仕組みも分かったまさに遊び盛り、思い出盛りのいわゆる華のJK2。

私がうつ病になったのはそんな華のJK2の夏休みでした。

夏休み前に親子三世代で旅行に行く話をしていました。そこに普段から親交がありムードメーカーのような父の弟、つまり私の叔父も一緒に行くことになり、家族みな仲が良いのでとても楽しみにしていました。

旅行一週間前に叔父から急にドタキャンされてしまい、仕方ない、また予定を合わせて皆で行こうと旅行中止にしました。その旅行に行く日だった夜中、家族でオムライスを食べようと席に着いたとき、警察から叔父が自殺して亡くなったと電話がかかってきて、私たち家族の時間がとまりました。

いつも笑っていて、いつも誰かを笑わせていて、思い出す顔は笑顔ばかりでした。どうして、なんで、その日覚えているのは平常心を保ったまま警察に向かう両親の顔と呆然としたままの姉の姿です。

その日はまったく眠れませんでした。夏休みを迎えるために登校した終業式の時も、魂が上にいる感じがずっとしていて、自分を客観的に見ているみたいな、心ここにあらずの状態でした。

華のJKの夏休みは叔父の遺品整理で潰れました。いつも笑顔の叔父が笑うことなく真っ白な顔をして横たわっているのを見たときは、自分がどんな感情なのかもわからない程様々な感情に支配され泣きじゃくりました。

残された遺書を家族で回し読み、普通にご飯を食べ、日常が当たり前に過ぎていくことに虚しくもなりました。葬儀の際は皆が泣いていて、何故泣いているんだろうと考えたり、やはりどこで何をしていても普段通りに生きていても日常を過ごせているようでも心はここにあらずでした。この頃から自分を裏側まで見ているかのような不思議な感覚になりました。

15年前に離婚した叔父なのですが、家は離婚する前と何も変わっておらず叔父が一人でずっと孤独と戦っていたことをそこで初めて知りました。一人暮らしなのに家族で暮らしているかのような生活品だったり、子供もとっくに成人しているのにまだベビーベッドがおいてあったり。

寂しかったんだなと思いました。本心なんて本人しかわからないし、弱みを見せられる人ばかりでもないし、誰かに頼るのが苦手な人も中にはいるのだと学びました。そこから自分自身のバランスが上手く取れなくなり、倫理観も分からなくなりました。

人生においての当たり前とは何か、何が正しいのか分からずに答えも出るわけもなく、もがき苦しみました。自分が何気なく伝えた言葉が実は相手には辛い言葉になるかもしれない、いつも笑顔だから元気とは限らなく心は泣いているかもしれない、また目の前の誰かが突然いなくなるかもしれない。そう思えば思うほど人と関わるのが怖く塞ぎこみました。

そこからはうつ病、社会不安障害不眠症などを経験しました。それでも生きていかなければなりません。華のJK2から5年が経ちましたが今年やっと完治に向かいそうです。

焦らずに、むしろ開き直るくらいの気持ちで自分を抱きしめてあげたいです。回り道だったかもしれませんが、回り道には回り道にしか咲いていない華があります。人に寄り添える人間になれたかな、少しでも人の痛みがわかる大人になれたかなと、今は思えます。

多感な時期だからこそ苦しんだのかも知れませんがだからこそ学んだこともあると思います。大好きな叔父の死を無駄にせず、私は精一杯目一杯生きてやるぞ!って今は逞しく前を見れています。ないもの、なくしたものばかり見ずに今あるものを大切に生きていきたいです。