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うつ病の体験談【演技をしているかのような自分の正体】

職場のいつものテーブルに着席した途端に、私の身体の表面がピリピリとシビレ出し、背中にはダンベルを入れたリュックサックを背負っている様な感覚に襲われました。

嫌いな人や苦手な人が居たわけでもないし、お仕事が苦痛だったわけでもなく、とにかく「自分」がイヤだったあの頃の私。

半日で帰宅しようか、今すぐ帰宅しようか、いやいやせっかくここまでたどり着いたのだから、ただ着席してるだけでいいから・・・。

そんな状態を1か月ほど続けていた私は、今度は通勤電車や職場などで急に涙が流れる症状が出てきました。

身体の痛みは黙っていれば分かりませんが、さすがに嗚咽が漏れ聞こえる女性の涙は、男性陣の冷たい視線と女性陣の同情の視線を浴びて、さらに自分を嫌いになるような追い込みをかけました。

理由の分からない周りの人は、まるで私が演技をして何かしらを訴えたいのかと思っていたようです。

今から約25年前のうつ病を始めとした精神的な病は、現在ほどの理解が無く触れない方が無難な社会でした。

私自身うつ病を患った原因を特定できたのは、発病してから10年以上経ってからのことでした。

母親との共依存関係。

何件も何件も訪ねまわったメンタルクリニックのある医師に「お母さんのことってどう思っていますか?」と質問された私は、一瞬のためらいののちに泣き叫んで、私が幼い頃からの母との日々を語り始めました。

私は6人家族の一番年下でした。

母は慣れない農作業、理不尽な姑のリクエスト、問題児の兄、会社と家の往復だけで生活をしていたように見えた父。

物心ついた頃から母は「私だけのお母さん」の時間が無かったのです。

うつ病に陥るパターンが解明された現在、私ももれなく母の注目が欲しくて、母の言う通りにする良い子でい続けました。

優等生だった小・中学校時代、背伸びをした高校時代、実力以上の大学へ指定校推薦をしていただいたにも関わらず私は大学を中退しました。

大学時代での登校拒否でやっと本当の自分の気持ち通りの行動を母にさらけ出すことができたのです。

最初の頃、母は私のパジャマを脱がし洋服に着替えさせ、無理矢理カバンを持たせました。

私はそのままの状態でベッドの布団に潜り込みました。布団越しに聞こえる母の鳴き声。

罪悪感を募らせながらも私は布団の中から出ませんでした。

まるでドラマで、うつ病を患った主人公を演じていたような自分を振り返るこの瞬間、私の背中は重くなり肩が詰まってきました。

私は幸いにして心を開き、本音を言葉にできる医師に出会うことができました。

現在大人の引きこもりをしている方々の出現、いわゆる「8050問題」に思いを馳せると、現在は専業主婦として穏やかな生活をしているけれど、油断は出来ません。