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うつ病の体験談【妻と私のうつ病闘病記録】

私の妻は生まれながらに発達障害を持っており、それに伴う2次障害でうつ病も発症しています。

うつ病にもいろいろな症状があることを主治医や医療関係者から多く聞くことがあり、その中には希死願望があって大変だとのことも聞かされてきたので、私の妻の場合はどうなるんだろうと不安に思えました。

しかし、幸いなことに妻の場合は、希死願望などはなく、症状としては無気力自暴自棄になることが多いくらいでした。

しかし、他の方と比較すれば軽いと思われがちですが、家族の立場としては症状が重いも軽いも関係なく一定の苦労や気持ちが消耗することもよくあります。今でこそこのように落ち着いて振り返ることができますが当時は出口のないトンネルをまさにくぐっている感覚で、本当に先行きが不安でした。

発達障害に伴ううつ病なので、基本的に一生お付き合いをしていかなくてはならない病気であるので、様々な社会的制度を利用しようと考えました。

しかし、妻の場合は、見た目はいたって普通に見えてしまう(本来は良いことなのですが)ため、なかなか理解を得ることは難しく、いまだに娘たちを通わせている保育園からの理解は乏しいです。

今まで大変だったことは障害年金の申請障碍者手帳の申請、何一つストレートに通過できたものはありませんでした。

保育園の入所の際には市役所でA4の申立書2枚に手書きで申し立て内容を記載したり、障害年金の申請に関しても年金事務所でも最初のころは門前払いを受けました。

何とか理解をしてもらうために何度も足を運んで粘り強く説明を繰り返し、ようやく申請までたどり着いたことを今でもよく覚えています。

現在でこそ障害年金も無事に受給できていますが、あの時に折れていたらどうなっていたかと思うとあの時に頑張っておいてよかったと思います。

しかし厄介なのが保育園の対応で、妻は障害特性上自動車の運転ができず、保育園の迎えもすぐには出来ないので私が行うことがほとんどです。

実際に普段から私が保育園の送り迎えを行っていることを保育園側も十分に理解しているはずなのですが、自動車の運転ができない妻に対して今すぐ迎えに来れないのかと電話が入ることが未だに多く、保育園の対応に妻も嫌気を差しています。

今後も保育園に対しては理解を求めて粘り強く説明をしていくつもりですが、相手側が理解しようと思う気持ちがなければいくらこちらが熱心に説明しても無駄かもしれません。少々むなしいとは思いますが、とりあえずやることはやろうというのがポリシーです。

近年はメンタルの疾患患者が増加の一途を辿っており、実際に私も業務上のストレスで適応障害と診断され、結果的には退職するまでに至りました。それは逆に私に対して精神疾患は極めて身近なものであることを教えてくれたように思えます。

私の妻以外にもうつ病を経験したり、または今まさに闘病していて先行きが不安と感じたりしている方も多くいらっしゃると思います。

私がその方達に伝えられることとしては社会保障制度に関しては折れることなく審判までもっていき、権利として受給可能であればしっかり頼ってほしいということです。

うつ病のような精神疾患は周りのサポートが必要不可欠なので、「周りに迷惑をかけたくない」と言った気持ちは十分に理解できますが、今はその時ではなく逆に迷惑をかけてもよい時期であると思ってください。

今必要なことはより多くの人々が精神疾患に対して偏見なくしっかり支援し、お互いに支えあって生きていく社会の仕組みをしっかり作っていくことではないかと思いますし、私自身そのような社会を強く望んでいます。

妻との闘病生活はこれからも長い間続いていくことなので、つらいこともあるかもしれませんが2人で一緒に乗り越えていきたいと思っています。